「日刊まにら新聞」ウェブ

1992年にマニラで創刊した「日刊まにら新聞」のウェブサイトです。フィリピン発のニュースを毎日配信しています。

マニラ
35度-25度
両替レート
1万円=P3,680
$100=P5740

7月18日のまにら新聞から

モニュメント・サークル

[ 1133字|2004.7.18|社会 (society)|名所探訪 ]

喧噪の中の無人公園

 エドサ、リサール両通りなど四本の幹線道が交わるカロオカン市のモニュメント・サークルは、直径百メートルほどの円状道路。内周部は「ボニファシオ記念碑公園」として整備され、中心部に高さ約十四メートルの記念碑が立つ。

 碑は一九三三年の建造で国立歴史研究所指定の史跡。右手にボロ(長刀)、左手にピストルを持つ英雄アンドレス・ボニファシオらフィリピン革命の群像二十四人のブロンズ像が配されている。

 東西南北四方から車が流れ込むサークルは首都圏屈指の渋滞名所でもある。「私はエドサへ」「おれはリサール通りへ」。ドライバーの意地が交錯する路上はさながら円形闘技場で、気の弱い運転者は渋滞の渦からなかなか抜け出せない。

 二〇〇三年十一月三十日のボニファシオ生誕記念日、この渋滞名所は様変わりした。エドサ通りの中央分離帯部分に「ボニファシオ記念遊歩道」(全長約百五十メートル)が完成。市当局が記念碑公園と遊歩道を結ぶ通路を確保するため円状道路の一部を閉鎖してしまったのだ。

 閉鎖により、車の流れは大きく変わり、サークル周辺の渋滞は一層激しくなった。ケソン市クバオ在住のタクシー運転手、ジャン・サントスさん(60)は「閉鎖後は渋滞で車がほとんど動かなくなった。サークルには近付かないようにした」と言う。

 渋滞激化の責を負ったのはマロンソ前カロオカン市長。遊歩道整備と公園改修(総事業費約一千万ペソ)は、マロンソ市政の功績を有権者にアピールし、市長選に代理出馬させた妻を当選へ導く切り札になるはずだった。しかし、計算外の渋滞で妻は惨敗し、手痛いしっぺ返しを食らうこととなった。

 道路閉鎖から七カ月後の七月一日。「円状道路の復活と公金無駄遣いの追及」を掲げて当選したエチベリ現市長は、宣誓就任式直後に円状道路をふさいできた障害物をさっそく撤去。遊歩道を照らしていた赤や青色の街灯二十九本も、「暗すぎる」という理由ですべて引き抜いた。

 車の流れが元通りになると同時に、遊歩道と記念碑公園を結んでいた人の流れは再び寸断された。円状道路を横断してまで公園へ行こうとする人はほとんどなく、喧騒(けんそう)と排ガスに包まれた無人公園と化している。

 公園と遊歩道を管理している市職員、ミゲル・リベラさん(42)は言う。「一日八時間、ここにいるが、誰も来ない日がほとんど。来園者は一日三人が最高かな。高校生三人のグループが学校の課題で記念碑の写真を撮りに来た」

 遊歩道も状況は変わらない。エドサ通りの中央分離帯部分、渋滞の真っ直中を歩こうという物好きな人はいない。芝生に覆われた歩道脇では、引き抜かれた街灯の電気コードが無残な姿をさらし、比政治の不毛な一面を訴え続けている。(酒井善彦)

社会 (society)