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2月17日のまにら新聞から

過去をふり返り反省を

[ 749字|2014.2.17|経済 (economy)|新聞論調 ]

 過去をふり返ることは大切だ。フィリピン社会が歩んできた道のりを、ある女性に聞いてみた。彼女は観光産業に生きてきた76歳の女性である。この女性によると、最近、香港政府がバス乗っ取り犯による自国民射殺事件の報復として、フィリピン政府関係者のビザなし入国を一時停止したことは皮肉なことだった。というのも40年ほど前までは香港の人たちは正式なパスポートの発行を受けることが出来ず、渡航証明書しかなく、海外旅行がほとんど無理だったという。そんな彼らに1973年、門戸を解放し、初めて旅行者として受け入れたのが、当時のマルコス大統領だった。このフィリピンの決断をその後、他の国も見習ったという。

 ラジャツアーズという旅行会社を経営していたこの女性は、香港からの観光客にパッケージツアーを提供、大いに繁盛した。当時は7日間で400米ドルのツアー費用だった。1ドルが7ペソの時代。この最初の1年間だけで、50万人近い人が香港から押し寄せたという。当然、彼らを乗せたのはアジアで最初に国際線の運航を開始したフィリピン航空だった。マニラ空港も近隣諸国の空港にひけを取らなかった。当時マニラで提供できたホテルといえば、マニラヒルトン、ベイビュー、ハイヤット、インターコンチネンタルの4つに限られていた。

 74年にそれまで海外渡航が制限されていた日本人を最初に旅行者として受け入れたのもフィリピンだった。 

 76年には、アジアで初めて開催された国際通貨基金と世界銀行の年次総会を受け入れるため、フィリピン国際会議場も建設された。74年時点で比を訪問する外国人は120万人に達していたのだ。それから40年が経過したが、外国人観光客数は400万人を超えたにすぎない。(14日・スター、アナマリ・パミントゥアン氏)

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