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1月21日のまにら新聞から

カーサ・マニラ博物館

[ 1277字|2007.1.21|社会 (society)|名所探訪 ]

時代を超えた異空間

 スペイン植民地時代の要塞都市、イントラムロスー首都圏マニラ市ジェネラルルナ通りから城壁をくぐって五分ほど歩くと、左手にサンオーガスティン教会、その向かい側にスペイン人上流階級の邸宅を模したカーサ・マニラ博物館がある。

 アーチ型の門をくぐってパティオ(中庭)に出る。博物館は高さ約十メートル、三階建ての石造建築物。等間隔に取り付けられたガス灯、レンガ状に積まれた石造りの壁が囲む。十八世紀スペインの建築様式で、今の時代を忘れさせる異空間が広がるが、一九八三年に再建されたものだ。植民地時代はカレッサ(馬車)がひづめの音を響かせて入ってきたのだろう。奥には厩舎(きゅうしゃ)もある。広さ二百三十平方メートルのパティオの中央には噴水が上がり、観光客が記念撮影を楽しむ。

 同博物館に勤めて二十三年になるイントラムロス行政局のエド・バイシックさん(45)は「中庭にいると、時代を飛び越し、二百年以上の昔に戻ったように感じる。ここはイントラムロスの中でも独特の雰囲気を持っている」と話す。

 その独特の空間を演出しているのは、イントラムロスに幾つかある博物館、教会だが、その中でも目を引くのがパティオの地面だけに敷き詰められた石畳みという。

 しっくいで固められた敷石の中には、漢字が刻まれた石が交じっている。パティオの外縁にある石で、「大・扶西陳・・湖寮。楼霞・・孝男・・審圏」などと読める。「光緒七年六月・日・清顕考・則・・黄公墓」と刻まれた石もある。黄公というのは古い中国語で酒屋のことだが、どうも墓石のかけらのようだ。

 バイシックさんによると、パティオの石材は中国から来た石を集めたものだが、どこから持って来たのかは分からないという。光緒七年は清・西太后の時代で一八七一年に当たる。

 中国とルソン島は長く貿易でつながっていた。中国から絹、茶、陶器などが船でマニラに運ばれた。船のバラストに中国人は石を使っていたという。帰途、船は物々交換した金、砂糖、ココナツなどの品物を積む込み、石を降ろした。そんな歴史の一幕も思い出された。

 太平洋戦争も終盤の一九四五年マニラ攻防戦で、イントラムロスの大半の建造物は戦火に焼けた。七九年、当時のマルコス大統領の命令でイントラムロス行政局が設立され、要塞都市の再建が始まった。

 パティオは現在、結婚式などのパーティー会場として人気がある。日が落ち、ライトアップされると、静かでロマンチックな雰囲気を醸し出す。バイシックさんは「一、六、十二月が年間で最も忙しい。十二月は毎日のようにパーティーが開かれる」と話した。入館者も外国人観光客よりも比人の方が多いという。

 携帯電話で写真を撮っていたグレン・アグスティンさん(44)=マカティ市在住=は「ここはお気に入りの場所で、何回も来ています。来るたびに美しいと感じます」と語った。

 水色のストライプが入った白いスペイン軍服を着た警備員がパティオを行き来する。首都圏で数少ない異国情緒とともに歴史の断面も味わえるお勧めのスポットだ。(水谷竹秀)