まにら新聞が、東南アジア初の日刊邦字紙として産声を上げたのは、1992年5月。取材網の整備から広告編集、宅配制度の確立…、すべてゼロからのスタートでした。当時の名称は「Kyodo News Dairy」。共同通信が編集した紙面を中心に「日本のニュースを毎朝届ける」ことが主な役割でした。
フィリピンの邦人社会で、ことあるごとに耳にする言葉があります。「日比友好」。聞く人によって、様々に響く四文字。フィリピンで発行される邦字紙として、このテーマにどのように向かい合うのか。私たちは、フィリピンの人々を知り、紙面を通して読者の方々にも知っていただこう、と考えました。
そこで、共同通信の編集面とは別に、独自に取材・編集した面を組み込みました。例を挙げると、
- フィリピンの政治や経済、社会に関する話題を盛り込んだ「フィリピン版」
- 「道路からマンホールが消えるのはなぜ?」など、フィリピン社会の様々な不思議に迫る「フィリピン不思議探検隊」
- タガログ語新聞の記事を通して、フィリピン大衆の素顔を垣間みる「フィリピノ・ワールド」
- 英字紙が伝えた経済ニュースを項目別にまとめた「経済ファイル」
などです。
「フィリピン版」では、日本大使館領事部の問題点を指摘する「領事業務への声」やマニラ日本人学校を舞台に日比混血児問題の一端に切り込む「揺れる日本人学校」などを連載。読者から大きな反響があったほか、日本国内の新聞や雑誌でも取り上げられました。
名称を「まにら新聞」に変更したのは、96年1月。「フィリピン版」などを廃止すると同時に連日、第1面に独自取材した記事を組み込むことになりました。一般記事とともに、日系人や出稼ぎ労働者問題を取り上げた連載を随時掲載。主要都市の天気予報や英字紙などのトップニュース、為替相場など身近な情報もコンパクトにまとめました。
また、まにら新聞の英語ダイジェスト版を近々、発行する予定です。目的は、「日本人はどのようにフィリピンを見ているのか」をフィリピンの人々に知ってもらうこと。自動車や電化製品だけではなく、日本人が何を見、どのように感じているのかを伝えることで、「日比友好」を双方向から応援できれば、と考えています。
「まにら新聞」編集部 webadmin@manila-shimbun.com
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