「大切なのは排除ではなく共存」 鎌田慧さんの現在の思い 30年ぶりに「躍動的な街」再訪で
国際NGO「ピースボート」の乗船者の一人、日本を代表するルポライターの鎌田慧さんに、フィリピンの印象や日本との比較、現在の思いを聞いた
国際NGO「ピースボート」が4月13日、マニラ港へ12年ぶりに寄港した。乗船者の中に日本を代表するルポライター鎌田慧さん(84)がいた。「自動車絶望工場」「六ケ所村の記録」など多数の著書があり、反原発運動や国会前デモなどの呼び掛け人としても知られる。フィリピンを含む東南アジアに関連した著作もある鎌田さんに、その印象や日本との比較、現在の思いを聞いた。(聞き手は岡田薫)
—初めての訪比は。
1987年で、今回で4回目。最後に来たのが労働ペンクラブのツアーでシンガポールやベトナム、タイなどアジアを回った時で30年ぐらい前です。輸出区域だったバタアンには取材で別に来ています。
—現在の比の印象は。
当時と同様、活発で驚きました。東南アジア的なエネルギーが感じられる。乗用車が増えたかな。車両がひしめき合っていて、その騒々しさはすごい。最近アジアを歩いていないのですが、バンコクもこんなにうるさくはない。
—日本との違いは。
日本には「躍動的な街」はもうなくなっている。地下鉄とか公共交通の発達などが原因として挙げられるかもしれない。が、一方で東南アジアは人間のエネルギーで動いている。人間の力で経済が動いているといった感じがします。人口が減っている国と増えている国の違いを膚で感じられる。日本では今後の発展はあまり考えられない。商店はもとよりデパートがつぶれ、スーパーやコンビニばかり。やはり街に小商店がある景色は人間的だし、日本化せず独自の道を歩んだ方が良いですね。
—日本とアジアの関係性は。
簡単に言えば米国もそうだが、日本にあった電機とか自動車とか、人間が手でやる労働集約型の工場はほとんどアジアに移転している。さらに日本はIT競争に敗れ、宙ぶらりんの状態です。工場がなくなり、ものを作る技術も落ちている。海外で仕事を探す若い層が増えてきた。ただ、円が上昇していた以前に比べ、円安の現在は留学するにも厳しい。「日本が中心」といった以前のような意識は、今の若者にはないでしょう。
—台湾問題をどう見る。
台湾で戦争が起これば、日本も戦争に参加する、として沖縄の石垣島や宮古島には自衛隊が基地を作っている。台湾に一番近い与那国島にも自衛隊が派遣され、軍事基地化している。「台湾有事(戦争)は日本有事(戦争)だ」というのですが、中国は日本が大事にすべき国であり、政府の政策は矛盾している。沖縄や九州を軍事化しつつ、これからも貿易で中国に依存しないと日本は立ち行かない。「善隣外交」が必要です。
—日比の政治については。
日本の政治家は、比のマルコス大統領などもそうですが、政治家の子ども、そのまた子どもが政治家となり、私腹を肥やしてきた。日本はほぼ4代目だ。4代目を秘書官にして問題となった岸田文雄は3代目。小泉純一郎も3代目で、その子どもが4代目。麻生太郎と安倍晋三も3代目です。専制政治は最も忌避するべきなのに、日本も比もそうならない。
利用や依存を育む利害関係ではなく相互扶助こそが必要です。政治力は業界や産業界、政治資金など全て利害関係が絡む。しかし相互扶助は政治力とは異なって、お互い金ができたら返せばいい。そういった人間関係がもとにある。それが日本では目先の利害ばかり優先するようになった。フィリピンは人情があつく、東南アジア的かもしれないですね。
—近代化とは。
近代産業はベルトコンベア式で労働、仕事を分断し、人間関係もなにもなく協力しあうこともなく製品化してきた。つまり、分断と単純化。考えることなく、人間を「機械」とすれば生産のスピードが上がる。近代は人間性を排除し、利益や生産性を第一にしてしまった。
人間くささや人間関係の近さから離れて生きることが、日本人は発展だと思ってきた。「近代化」とは地域性や共同体を排除した上での「個人の自立」といった理解の仕方があったが、都市化や過疎化は人間関係を断ち切った産物。過疎とは地域の共同体が徐々に消滅していくことです。「人間に対して温かい」とは田舎っぽいととらえがちだが、高層ビル化した社会は、人間に対して冷たくよそよそしいものです。
かつて炭鉱の住宅(炭住)などでは、コメや塩がなくなれば隣近所に借りに行くとか助け合いが当たり前だった。それが社会の発展に伴って意識的に恥ずかしい関係とされてきたが、むしろ大切なのは排除ではなく共存です。
—理想的社会とは
都会化、近代化はひたすら進歩や合理性という観点、思想でずっと進められてきた。ふと気がつくと、誰もが孤独になってきている。東南アジアの喧噪や騒々しさ、そうした中で人間が活き活きとして生きている姿を、フィリピンで見てどこかホッとさせられます。家族や友達を大事にして暮らしているからでしょう。沖縄にはまだ残っている。
わたしの青森の田舎でも近所の人が行き来していた。子どものころ庭がくっついていて、玄関はあっても、親しい家とは庭から出て向こうの裏口から入ったりと、行き来できる関係があった。アイヌは鍵を掛けなかった。誰もが一緒に暮らす「共生する」思想が大切。近代化の下、がむしゃらに捨てて来た人間関係には、人に対する優しさや他人を心配する心がありました。
—ルポルタージュとは。
ルポルタージュは人に感動すること。人の話に感動し、それを伝えること。いろんな闘争をしている人がいる。そういう生き方もあるんだよって。普通の人が真実を衝いた鋭い発言をする。権力も金もないと蔑まされるが、深い発言がいっぱいある。
例えば、下北半島の一番端、青森県大間町の原子力発電所は40年経っても完成していない。なぜかというと、住民の高齢女性1人が最後まで土地の買収に反対し続けているからです。2代にわたって電力会社が金を積んで「お願いします」と言っても、彼女は首を縦に振らない。その人の「人間は海と畑があれば食っていける」という言葉。「海がなくなる」とは、そこの漁業権や工場からの排水で、海があってもなくなるということです。かつて工場排水で真っ黒だった北九州の洞海湾のように。
海で魚を採って畑を耕すことで生きていける。海が公害で汚れ、畑を工場に売ってしまったら、たとえ他で仕事に就いても、会社を首になれば、親子離散やらさまざまなことが起きる。そういうことをしっかり言っている人たちが世の中にいっぱいいます。それを書いてきました。
KAMATA SATOSHI ルポライター。1938年青森生まれ、早稲田大学卒業後、新聞、雑誌記者を経てフリーに。日本列島に充満する社会問題を現場を歩き、見つめ、問い、告発し続ける。著書に『自動車絶望工場―ある季節工の手記』『日本列島を往く』(全6巻)『反骨のジャーナリスト』『狭山事件』『声なき人々の戦後史』など多数。『六ケ所村の記録』で毎日出版文化賞を受賞。東京新聞に毎週「本音のコラム」を連載中。