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[ 1563字|2016.1.3|社会 (society) ]

布製品生産に携わるシングルマザーのマリッサさん。日本人との間に生まれた日系2世の息子のため奮闘する日々だ

ランパラハウスの工房で商品の布製品を作るマリッサ・サビオさん

 首都圏鉄道(MRT)3号線のビトクルス駅から数分。首都圏マニラ市マラテ地区にあるコンドミニアムの一室では、フィリピン人女性3人が汗を流していた。かばんや財布を作るためはさみで生地を切るザクッザクッという音やミシンの機械音が響き渡っている。女性たちの真剣な表情を射し込む日差しが照らしている。

 この女性たち3人は、日本人男性との間にできた「新日系2世」と呼ばれる子どもを、女手一つで育てるシングルマザーたちだ。手作りの布製品を販売する生産者団体「ランパラハウス」がコンドミニアムを借りている。

 代表のマリッサ・サビオさん(42)は、「生きていくため」という言葉を口癖のように繰り返す。ランパラハウスは日本の特定非営利活動法人(NPO)「アジア女性自立プロジェクト」(AWEP)の支援で、シングルマザーたちに生計手段を提供するため2012年に設立された。

 ミンダナオ地方の先住民チボリ族に伝わる織布ティナラックなど比の伝統織布を素材に、色鮮やかで美しい布製品を作っている。

 しかし、AWEPの金銭支援は設立から5年間だけ。その後は自らの力で団体を運営していかなければならない。シングルマザーたちは「生きるため」に日々、ひたむきな努力を続けている。毎週日曜は首都圏マカティ市レガスピビレッジの日曜市で商品を販売しており、オーダーメイドも受け付ける。丈夫な伝統織布と丁寧な仕事ぶりで愛好者も増え、売り上げは順調に伸びている。

 日本の厚生労働省が発表した人口動態統計によると、1995〜2014年に比日の男女間で生まれた子どもは8万7342人。子どもの母親で特に多いのは、80年代から05年まで活発に訪日し、フィリピンパブなどで働いていた比人エンターテイナーの女性たちだ。ランパラハウスの代表、サビオさんもその一人だ。

 サビオさんは73年、マニラ市キアポ地区の違法占拠民の地区で生まれた。4人姉弟の長女だった。小学生のころから学校が終わると母親が営む路上のバーベキュー屋台を手伝った。まわりの子どもたちのように遊んだ記憶はない。父親はまともに働かず、ほかに家族をつくって家を出た。

 サビオさんは大学に入学したものの学費を捻出できず1年で中退、日系の縫製工場に就職した。このとき、同僚から「エンターテイナーはもうかる」と聞き、95年5月から半年契約で訪日、群馬県前橋市のパブで働いた。一間の狭いアパートに6人で暮らし、1日5人の客を相手にした。

 そんな中、一人の日本人男性客と出会った。電気技師をしているという20歳年上の男性は、ほかの客と違い、生真面目で優しかった。いつしかサビオさんはこの男性と2人で暮らすようになった。

 比に帰国する直前にサビオさんは妊娠。帰国後の96年7月、男児を出産した。日本人男性は何度か比を訪れサビオさんに仕送りもしたが、しばらくすると連絡が途絶えた。サビオさんは生活を支えるため職を転々とし、07年にランパラハウスの前身、「女性独立ネットワーク」(WIN)に参加した。

 サビオさんは日本人男性との出会いを後悔しているのだろうか。問い掛けにサビオさんは答えない。ただ、男性との思い出は今でもはっきりと覚えているという。妊娠が分かった時、男性は心から喜んでくれたという。近くの教会の椅子に座り、手を握り合った。男性はサビオさんに「これで2人は結婚したね」とほほ笑んだ。

 「私の夢は息子をお父さんに再会させること。前に会った時、息子はまだ小さかったから」とサビオさんはしんみりとした表情で話した。息子のテツヤ君は今、19歳。地元の大学に通っている。02年に男性の認知を得て日本国籍を取得した。サビオさんが今「生きていく」のは、息子の幸せをかなえるためだ。(加藤昌平)

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