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11月18日のまにら新聞から

再び破壊された古里

[ 697字|2013.11.18|社会 (society)|新聞論調 ]

戦争と台風ヨランダ

 私は、ビサヤ地方を横断した台風ヨランダ(30号)で壊滅的被害を受けたレイテ州タクロバン市生まれ。14歳で首都圏へ移り住むまで、かの地で育った。廃虚と化した街並みや泥に突っ伏す死体、ゾンビのように街中をさまよう人々を映し出すテレビ画面を見て、脳裏によみがえったのは子供時代の記憶だった。

 市内上空に飛来した米軍戦闘機P38の編隊を初めて見たのは4歳のころ。友軍機の増援と勘違いした日本兵が、自宅の向かい側にあった兵舎から喜び勇んで飛び出してきたことを覚えている。

 その後、米軍の砲爆撃が始まり、1944年10月20日、マッカーサー司令官がフィリピン解放のため、自宅から数キロ離れたパロ町に上陸した。同司令官と米将兵が市内に入った時、私は自宅前の階段に座って、Vサインを送り続けた。

 太平洋戦争中の日米両軍の戦闘でも、私の古里は大きな被害を受けたが、今回の台風被害は、これを上回ると思う。幼少期に駆け回ったダウンタウンは泥とがれき、死体で埋まり、タクロバン空港は完全に破壊された。通った小学校や高校の校舎も大きな被害を受けたことだろう。パロ町の海岸に立っていたマッカーサー司令官らの立像は、猛烈な風と高潮に耐え、今も立っているだろうか。

 私が愛した、あの古里の姿はもうない。いまだ連絡が取れない親類や知人のこと、破壊された思い出の地のことを思うと涙が止まらない。しかし、私は約70年前、身の毛もよだつような戦争による破壊を乗り越えたタクロバン市、レイテ州の人々のことを信じている。不屈の精神で、不死鳥のごとく、再び立ち上がると。(13日・ビジネスワールド、グレッグ・マカベンタ氏)

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