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8月1日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 667字|2011.8.1|社会 (society)|ハロハロ ]

 きょうから8月。8月と言えば、戦時中に青春時代を送った「戦中派」として毎年思い出すのは、日本が太平洋戦争で無条件降伏した1945年8月15日。中学3年で16歳だった筆者は、飛行予科練習生として海軍に入隊したが、操縦かんも握らないまま米軍の本土上陸に備えた陣地構築に動員され、この日、高知県香美郡の農家のラジオで終戦の「玉音放送」を聴いた。昭和天皇が読まれた詔書の放送で、日本が負けたのを国民は初めて知った。

 41年12月8日に日本軍の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争。激戦地の一つだったフィリピンで日本は44年後半から劣勢に転じた。それを象徴するのが45年2月に米軍が始めたマニラ市街戦。日本軍は乗艦を失って陸に上った海軍と小銃代わりに竹やりを持たされた現地召集組らの陸軍部隊の計2万900人で応戦したが、約20日後、1万900人が戦死して、戦闘を終えた。現地召集組には44年、マニラ地域在住の45歳以下の企業駐在員ら2千人が含まれていたという。

 フィリピン戦線で戦死、戦病死した軍人、軍属は計498、600人(旧厚生省調べ)。それに婦女子ら民間人を加えると戦没者総数は518、000人という。フィリピン人の推定死者数は約1110、000人。今年も終戦記念日の15日にラグナ州カリラヤ慰霊園で日本大使館主催の「日本人戦没者慰霊祭」が執り行われる。だが、対象は日本人戦没者だけでなく、祭事の案内文にある通り「日比両国の戦没者を悼むと共に、両国の平和と友好を祈念する」のが趣旨。多くの在住邦人の列席を期待したい。(濱)

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