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2月28日のまにら新聞から

うそが演出した革命?

[ 740字|2011.2.28|社会 (society)|新聞論調 ]

アキノ政変25周年

 今月、私たちはアキノ政変(エドサ革命)の25周年を祝っている。あまり知られていないが、1986年2月24日から25日にかけてエドサ通りに集まった人たちは革命を行うためではなく、ピクニックをするために来た。24日午前7時にラジオでマルコス一家が亡命したというニュースが流れたが、実はそれはうそ.だった。民衆は独裁政治が終わったと思い祝宴のためにエドサに集まったのだ。

 エドサ革命の立て役者の一人、エンリレ国防長官=当時=らはクーデターをかなり前から計画していた。マルコス大統領=同=の健康状態が悪化しており、ベール参謀総長=同=とイメルダ夫人との間で後継者争いが起きていたからだった。しかし、いざ決起してみると、ケソン市の国軍本部の立てこもりに参加した兵士は50人に満たなかった。そんな時に外国人を含めた私たち記者を本部に迎え入れたエンリレ氏らは喜んで対応したが、それは記者たちを人間の盾にするためだった。

 記者会見で、私はエンリレ氏に繰り上げ大統領選で彼が地元のカガヤン州でマルコス氏のために選挙不正をしたかと尋ねた。エンリレ氏は「30万票を不正に操作した。本当に大統領に選ばれたのはコリーだった」と答えたが、それもうそだった。後日、アキノ女史が大統領に就任してから行われた投票の再集計でもマルコス氏が勝利していたことが判明した。当時、中央選管の集計作業を担当していた女性らが選挙不正だと騒いで作業をボイコットした事件が有名になったが、あの女性たちのリーダーは決起した少佐の妻だった。前日に予告を受けていたメディアが大々的に報じたことからマルコス氏の選挙不正というイメージが広がった。あの「革命」には多くのうそが演出されていたのだ。(24日・タイムズ、トニー・ロぺス氏)

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