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2月14日のまにら新聞から

新聞論調

[ 715字|2011.2.14|社会 (society)|新聞論調 ]

無意味な意思表示

 人が自殺を図る時、それはその人を愛する周囲の人々に苦しみを与える。憎しみを抱いている者のみが喜ぶだけの、無意味な意思表示に過ぎない。

 ある医療関係のサイトにはこう記されている。「自殺は家族や友人に衝撃をもたらす。特に最愛の人を失った場合、理由について考え続ける危険性が高い。なぜ事前に防げなかったのかや自殺に至った問題をあれこれ思い巡らすことになる」。

 「残された人々は故人に対して数々の相反する感情を抱くかもしれない。悲しみ、防げなかった非力さ。故人を懐かしく思い、自殺という身勝手な行動に怒りすら感じるかもしれない。それは被害者であり、また同時に運命を左右した加害者という点を鑑みれば、これらの感情は理解できる」。

 わたしは自殺を図った友人を許したことはない。彼らが取った行動、すべてを投げ出した理由を理解しようとはしない。大半の場合、それは正当な理由ではないからだ。

 生きることより死を選択した方が良いという考え方は、受け入れることができない。自らが生きる世界には考えるべきもっと重要な事柄が多くあるはずだ。

 多くの人々は、他人が自殺を図った時、よく自責の念にかられる。それは「自殺をしたのは周囲の人々の言動が引き金になったためで、本人の責任ではない」という感覚である。抗議行動の手段としてハンガーストライキで訴えるのも、この感覚に通じるところがあるが、それは間違っている。

 世間をよく理解していない子供の自殺は防止すべきだ。しかし、成人は自身の行動に責任を持つ必要がある。以上がわたしの自殺に対する考え方である。多くの読者が賛成するとは期待していないが。(10日・マラヤ、ダッキー・パレデス氏) 

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