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6月8日のまにら新聞から

元慰安婦にも謝罪を

[ 721字|2009.6.8|社会 (society)|新聞論調 ]

戦争が残した心の傷

 太平洋戦争中の一九四二年、日本軍に捕らえられた比米軍捕虜約七万八千人はルソン地方バタアン州からパンパンガ州まで約百キロの道のりを行進させられた。食糧や水を与えられず、銃剣で突かれて死亡した者もいた。米軍によると、死者数は約一万一千人というが、歴史学者の間ではその数をめぐって今でも議論が続いている。

 日本政府はついに、駐米大使を通じてこの「死の行進」の犠牲者に謝罪した。五月三十日、藤崎一郎駐米大使は、バタアン半島やコレヒドール島の防衛に当たった退役軍人が集う第六十四回年次総会に出席、初めて公式謝罪を表明した。

 多くの犠牲者が六十七年間待ち続けた瞬間だった。

 藤崎大使は「きょうここに、日本政府の立場を表明したい」と始め、続けて「日本国民は歴史の教訓から学び、過去を検証することを心に留める必要がある。バタアン半島などで悲劇を経験した捕虜たちを含め、多くの人々に多大な損害と苦痛を与えたことに心から謝罪を表明したい」と述べた。

 退役軍人の会のテニー会長は「(大使の謝罪は)極めて画期的だ。大使が(この総会に)来るとは思ってもいなかった」と称賛した。

 大使による六分間のスピーチが終了すると、出席者約四百人の半数が立ち上がって拍手を送った。退役軍人の一人は「これでやっと安らかに眠れる」と喜びを表現した。

 しかし、今なお心の傷を引きずっている者もいる。別の退役軍人は「謝罪は受け入れられない。日本軍の残虐行為で受けた苦痛は(忘れられないほど)激しかった」と藤崎大使に伝えた。

 大使の謝罪は画期的だった。しかしわれわれは、戦争中に性的暴行を受けた元従軍慰安婦への公式謝罪をいまだに待ち続けている。(3日・タイムズ)

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