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5月18日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 659字|2009.5.18|社会 (society)|ハロハロ ]

 「母の日」の十日、拙宅のすぐ近くにあるゴルフ場のクラブハウスで昼食をとった。「ハッピー・マザーズ・デー」。玄関に着くと、まず受付の若い女性二人が声そろえて家内を出迎えてくれた。レストランでもウエートレスが笑顔で「ハッピー・マザーズ・デー」。私たちのテーブル担当のウエートレスはニッコリして家内に赤いバラを差し出した。どのテーブルでも同じような光景。心のこもった彼女らの態度は、まるで自分の母親に花を贈っているかのように思えた。

 「母の日」には二つあり、一つは英国で、始まりは一七世紀までさかのぼる。復活祭の四十日前の日曜日で、今年は三月二十二日だった。もう一つは一九〇七年、米国ウエストバージニア州で亡き母親をしのび、娘が教会の信徒に白いカーネーションを贈ったのが起源とされる。一九一四年、「母の日」はアメリカの祝日になり、五月の第二日曜日と定められた。日本には一九一三年(大正十二年)に紹介されたといわれる。

 一五七一年、スペインが植民地化する以前、フィリピン諸島で国があったのはスルー諸島などミンダナオ地方だけで、それ以外には「バランガイ」と呼ばれる血縁集団しかなかった。そこで最も尊敬されたのは生命を与え、育ててくれた母親。数年前、カトリック司教議会が実施した意識調査で回答者が「尊敬する人物」の一位に挙げたのは母親で、三八・三%。二位の父親(一六・九%)の倍以上を占め、今も母親の存在がいかに大きいかが分かる。フィリピンでは毎日毎日が「母の日」かもしれない。(濱)

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