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6月30日のまにら新聞から

疑惑の運航会社

[ 683字|2008.6.30|社会 (society)|新聞論調 ]

フェリー転覆事故

 大型フェリー転覆事故の運航会社スルピシオ・ラインズは過去二十年間で犠牲者数百人規模の大事故を四件引き起こした。航空会社であれば運営継続は不可能だ。では同社はなぜ経営を続けられたのか。

 第一に、フェリーはなぜ出港したのだろうか。運航会社と沿岸警備隊の言い分から判断すると、同社の危険度基準の甘さが浮かび上がってくる。彼らは過去の大惨事から何を学んだのだろうか。

 一九八七年十二月に起きた同社のドニャ・パスと石油タンカーの衝突事故では、四千人以上が死亡。戦時下以外で最大の死者数となった。だが、同社への法的責任追及は難航し、二十一年が経過した現在も結論は出ていない。

 八八年十月。同社のドニャ・マリリンはマニラ港を出港してレイテ州に向かう途中で転覆した。台風接近中で、同州の警報は「3」に引き上げられていた。少なくとも二百五十人が死亡した。

 十年後の九八年九月。同社最大級フェリー、プリンセス・オブ・ザ・オリエントはマニラ港出港直後に転覆。同じく悪天候下での航海で犠牲者数は約百五十人に上った。

 今回の事故で、スルピシオは出港見送りという選択肢もあった。荒波が予想され、他の運航会社が出港を取り止める中、フェリーは出港した。過去の教訓が生かされることは無かった。

 運航会社にとっての真のリスクとは営業権利を失うこと。多くの人命が失われたことも、スルピシオにとってはおそらく「迷惑ごと」の類でしかない。

 同社は事故原因を「不可抗力」として責任回避を図るつもりだろうが、今回の事故は「悪癖」がなせる業としか思えない。(26日・インクワイアラー)

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