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10月29日のまにら新聞から

ハロハロ

[ 645字|2007.10.29|社会 (society)|ハロハロ ]

 フィリピンが世界約百九十カ国に海外就労者(OFW)を送り出し、その送金が経済成長を支えているのに対し、オーストラリアは百二十カ国から移民を受け入れ、その個性豊かなエネルギーを取り込んで社会の多様化と活性化を図っている。「人種のるつぼ」と呼ばれる最大都市、シドニーの郊外にはアジア、中東などからの移民の居住地区がいくつもある。一九九八年八月、その一つに住むミャンマー人青年と知り合った。

 シドニー中心部の州議会前で行われた「ミャンマー軍政抗議ハンスト」の取材がきっかけだった。同志十一人のリーダーとおぼしき青年は携帯拡声器で「アウン・サン・スーチーさん即時解放」などを流暢な英語で訴えた。寒空に響く青年の声は、この種の集会にありがちな「絶叫」調ではなく、ミャンマー人気質の一面を表すような、どこか柔らかさと温かみがこもっていた。青年が後に語った軍事政権による八八年八月民主化運動弾圧とその後の運命は、穏やかな語り口とは対照的に、あまりにも過酷で悲惨だった。

 学生活動家だった青年は家族の住む当時の首都、ヤンゴンを脱出。ジャングルを越え、たどり着いたタイ国境の反政府勢力支配地に潜伏した。約五年後、国連機関を通じてオーストラリアへの移住が認められた。新たな弾圧事件が起きた九月末、青年は地元紙(電子版)の取材に「ミャンマー民主化」への熱い思いを語っている。しかし、「祖国に戻る」という悲願は、民主化など歯牙にもかけない軍政に阻まれ、しばらくは成就しそうにない。 (道)

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