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3月6日のまにら新聞から

再び、振り出しに

[ 675字|2006.3.6|社会 (society)|新聞論調 ]

大統領強権発動で

 一九七二年九月二十一日、マルコス大統領=当時=は大統領宣言一〇八一号を発令、比全土に戒厳令を敷いた。この宣言で国軍は故ニノイ・アキノ上院議員、新聞記者、学生、活動家らを次々と逮捕し、その数は三万人にも上った。新聞四紙が廃刊され、報道機関への弾圧は高まった。

 マルコス氏は国会を閉鎖し、立法権を掌握。七二︱八一年の戒厳令下で次々と大統領令を発令したが、多くは未公表だった。同氏は近隣諸国に追いつくためには自己犠牲が必要と訴え、「新社会」創造には戒厳令は必要とまくし立てた。国策はエリート層を中心とした反マルコス派排除に利用され、当時、主要新聞、テレビ局、国内最大の電力会社を支配下に置いていたロペス財閥は解体され親マルコス派へ分配された。

 現在、比国民が根絶したと信じた「悪」が目の前に出現、フィリピンは二十年前の振り出しに戻った。アロヨ大統領が発令した非常事態宣言は国家警察による社屋捜索という形で本紙に振り下ろされた。完全武装した警官は記事や編集材料押収を指示されたとしている。

 強権発動は必死で権力にとどまろうとする大統領の策略にすぎず、アキノ政変二十周年を記念日に強権が発動されたのは何とも皮肉だ。驚くのは同宣言が有する強権を把握していたのは大統領一人のようにみえることだ。司法、報道両長官は社屋捜索目的を感知していなかったことを認めている。文民高官の無知は、国民が清算したはずの軍・警察による政権支配を示唆している。

 理由はどうであれ、非常事態宣言は国民が勝ち取った民主主義への侮辱行為であり、許せない。(2月26日・トリビューン)

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