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12月11日のまにら新聞から

台風ヨランダ(30号)

[ 1443字|2013.12.11|気象 災害 (nature)|ビサヤ地方台風災害 ]

親類から支援受ける世帯と親族一同が被災し救援物資に頼る世帯。生計確保に格差

「オートバイを直してバナナを売りたい」と話すアシスさん=10日午前11時ごろ、レイテ州タナワン町マガイで写す

 台風ヨランダ(30号)襲来で甚大な被害を受けたビサヤ地方レイテ州では、被災から1カ月が経過し、州都タクロバン市を中心に少しずつ活気が戻りつつある。しかし、州外などに親族がいる被災者には個人的な支援物資が届く一方、親族がそろって被災した世帯は依然として、救援物資に頼る生活が続いている。がれき処理によって得られるわずかな収入も、支援団体によって金額がまちまちで、なかには支援活動を打ち切る団体も出始め、被災者の現金収入にも隔たりが目立ち始めた。

 同州タナワン町のマガイ・バランガイ(最小行政区)では、住民の約1割となる70人が死亡した。10日現在、住むところを失った166世帯約600人が半壊したバランガイホールの周りでテント暮らしをしている。

 バランガイ議員のサミュエル・アシスさん(43)は、タクロバン市でセールスマンとして働いていたが災害後に職を失った。同じ町に住んでいた親族全てが被災した。救援物資や支援活動に頼る生活が続き、悩みは現金を稼ぐ手段がないことだという。

 12月初旬、民間支援団体が給水タンクをバランガイに設置してくれたおかげで、飲み水は確保された。水浴びには井戸水を使っている。しかし、食糧は2日に1度配給される救援物資に今でも頼っている。 

 アシスさんは「高潮で壊れた荷台付きオートバイをなんとか修理して、バナナを売って生計を立てたい」と話す。ところが、がれき処理で稼いだ約1300ペソは、クラッチの修理費用に充ててしまった。タイヤ、ホイール、エンジン点火装置など全て修理したら4千ペソ以上はかかる。「物資の配給もいつかは止まる。仕事を始めたいが、現金がない。それが問題」とアシスさん。

 2300人以上の死者が出たタクロバン市内では10日現在も、宗教系支援団体が、がれき処理に協力する被災者に1日500ペソを支払っている。しかし、別の団体が支援していたタナワン町マガイでは、被災者ががれき処理で受け取ったのは約半額の1日260ペソ。その支援も6日に終了し、アシスさんの大切な収入源は無くなった。アシスさんによると、5日間分の手当て1300ペソは受け取ったが、残り5日分はまだ未払いという。

 マガイ・バランガイの住民の多くは、アシスさんと同じように、現金収入の道を絶たれた。一方、なかには州外に住む親戚や勤務先から金銭的な支援を受けて生計手段を回復した一家もある。

 テント村には10日現在、4軒の雑貨店「サリサリストア」ができた。元バランガイ議長のレベッカ・ガルシアさん(56)は、高潮で実の母(91)、23歳の娘ら4人の親族を亡くした。北サマール州カタルマン町に住む義理の妹が食料品を送ってくれたため、10日からサリサリストアの営業を始めた。店頭には料理用油や調味料、ビスケットなどが並んでいる。一番の売れ筋はタバコで、1本2ペソという。 

 ガルシアさんのサリサリストアの隣にある給水タンクで、右足に大きな包帯を巻いたアリエス・セベルセさん(28)が顔を洗っていた。セベルセさんは落ちてきたトタン屋根が右足にぶつかり、計30針を縫う大けがを負った。しばらくは、歩くことすら困難だったため、がれき処理には加われなかった。台風襲来前は養豚、養鶏で家計をまかなっていたが、全ての家畜を失ったという。セベルセさんは「知り合いの家を掃除するなど、何とか仕事を見つける」と前向きに語ったが、生計を立てるめどは依然、立っていない。(鈴木貫太郎)

気象 災害 (nature)