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5月18日のまにら新聞から

比中巡視船けん制下の漁 スカボロー民間補給ルポ

[ 4080字|2024.5.18|社会 (society) ]

スカボロー礁への民間補給任務をまにら新聞記者が乗船取材。比中巡視船が監視下の市民活動をルポ

(上)漁業中に監視する中国海警局100メートル級巡視船=16日午前6時ごろ、南シナ海で竹下友章撮影(中)16日に行われたミサ。後ろには比中の巡視船が旋回する。左手前がロバート神父。中央がラファエラ共同代表=16日正午ごろ、南シナ海で竹下友章撮影(下)両国巡視船が監視する中行われた網上げ=16日午前6時半ごろ、南シナ海で竹下友章撮影

 他国からの致死的水圧での放水により自国公船が損壊するほど緊張がエスカレートしている海域に、市民団体が海洋権益主張のために船団を派遣し、行政もそれを許可する。日本ではありえないような取り組みが、15日から17日にかけ南シナ海スカボロー礁(比名パナタグ礁)近海で実施された。同礁は2012年に比中艦船のにらみあいの末に中国に実効支配を奪われた。その周辺は、中国のによるグレーゾーンの威力の行使の激化を受けてマルコス大統領自ら「法の支配を守る戦いの最前線」と位置づける南シナ海の中でも、アユギン礁(英名セカンドトーマス礁)と並び、最も比緊張が高まっている海域だ。危険を顧みずに赴いたかれらの船に、まにら新聞が乗船取材した。

 「放水されたら、まず沈没する」。民間補給に臨む市民団体「アティン・イト」のディシオ・デラトレ共同代表(NGO比農村復興運動代表)は、これからスカボロー礁に向かう船を出港前日の14日会見で笑ってそう形容した。出発の15日早朝、スカボロー礁の比名の一つ「バホ・デ・マシンロック」の由来となったサンバレス州マシンロック町の船着き場に集まった「母船」5隻は、想像した以上に小さく、頼りない。記者が乗船したのは、その中では最大の1番船「ビンビン」。最大積載量20トンというが、全長は15メートルほど。小ぶりの漁業船に竹や木でできたアウトリガーが後付けされ、大きめのバンカ(比の伝統的漁船)といった風情だ。この船には、「80歳の老齢のため比沿岸警備隊(PCG)から乗船許可が降りなかった」というデラトレ共同代表から、全権を委任された33歳の左派系アクバヤン党首ラファエラ・ダビド共同代表が乗船する。

 ▽「前線」に立つ神父

 15日午前7時27分。マシンロックの船着き場を、フィリピンの国旗とアティンイトの旗に見送られながら、5隻の漁船が小型バンカ十数隻とと共に出港する。その際に、この船の精神的中心がだれかはっきりした。漁船の船長でも、若きリーダー・ラファエラ氏でもない。カトリック教会から参加したロバート・レイエス神父だ。苦心して見つけたという航行の安全を象徴する星を携えたマリア像を抱えて乗船。正装に着替えた神父は、出港前、船長・船員を集めて祈祷を行い、それを船長以下船員の首にかける。

 デラトレ共同代表いわく、「非暴力だが、体を張ったエドサ革命(2月政変)以来のフィリピン市民運動に連なる」という今回の活動を、宗教的権威によって正統性を高め、士気を鼓舞する。前日の決起集会中に開かれたミサでは、中国による不法行為を糾弾し、さらには「国内の裏切り者にも目を光らせろ」となかなか激越な説教を行っていた人物だ。

 午前11時を過ぎた頃、船は沿岸線から40カイリ進み、領海(12カイリ)、接続水域(24カイリ)の外に出、排他的経済水域(EEZ)に入った。スカボロー礁にはなお100カイリほどある。だがここで、さっそく「象徴的事業」であるアティンイトのロゴ入りブイを投下する。「西フィリピン海(南シナ海で比が権益を主張する海域)」とのラファエラ氏の呼びかけに、乗組員は「アティンイト(私たちのもの)」と答える。「EEZの海洋権益防衛」のほか「安全第一」を掲げる同活動。安全圏でまず成果を作りたかったのかもしれない。活動中、比沿岸警備隊(PCG)が保有する日本が供与した巡視船「バガカイ」(船体番号4410)が警護に当たっていた。この船は4月30日にスカボロー礁への補給任務中に海警局による高圧放水砲を受けて、大きく損傷したという因縁の船でもある。

 海はペンキを流したような群青色だ。ここでカヌーのような1人乗り小型バンカで漁をする漁民と合流する。漁場らしく、数十隻のバンカが操業している。黄色のタンクはバンカのエンジン用の燃料、白いタンクは水、水色のビニール袋は食料だ。黄・白のタンクはロープに数珠つなぎにして海に浮かべ渡す。

 全長15メートル程度の船に、記者・ボランティアが31人。それに船長・船員も合わせて40人弱。三食は漁船側が漁師飯をまかなってくれる。活動時以外は何もすることがないので、記者団やボランティアは太陽に合わせて動く日陰を追い移動しながら雑談する。話のネタも尽きると呆然と座り込む。そうしていると、前々日は午前4時起床、前日は午前2時起床という強行軍がやはりたたったか、睡魔に襲われる。寝床を聞くと、船室の2階部分にあるという。はしごを登ると、高さ1メートル、幅1.5メートルくらいの細長いスペースがあり、ここで雑魚寝するようだ。ここは建て増し部分らしく、床には木材や竹が不ぞろいにしかれており、普通に寝ても背中が痛い。寝袋を枕、借りたライフジャケットを敷布団代わりにし、床の出っ張りを体を折り曲げてよけ、仮眠を取る。

 ▽海警船による妨害

 「中国海警局が来た!」――。午後6時前、叫び声に叩き起こされる。裸足で外に飛び出て見渡すと、巡視船とおぼしき船影が三つ。1隻はPCG船だが、もう2隻横長の巡視船が見える。一眼レフカメラで撮影した写真を見ると、海警局4108、同4109とある。両方とも元々中国海軍の89メートル級コルベット艦だった大型巡視船だ。

 副船長に現在どの位置かと聞くと、既にスカボロー礁から40~50カイリに迫っている。海警局船は、こちらの船とPCG線に無線警告した後、こちらの船首の先を左向きに横断した。これが「ブロッキング」だという。現時点では、まだ肉眼で船体番号を確認できないくらいの距離で横切っただけだ。だがスカボロー礁にこのまま近づくほど、ブロッキングの距離を狭めてくるらしい。

 衛生通信「スターリンク」で他船や本部と連絡を取り合っているラファエラ代表は、船長との協議のもと進路変更を決断。ただ、折り返すわけでなく、進行方向を変えつつスカボロー礁近海に別の角度から入るつもりらしい。進路変更後、ブロッキングはなくなったが、海警船2隻は挟むような陣形で追尾。日没後も海警局船の光は陣形を維持したまま追尾を継続した。

 ▽巡視船監視下で満喫

 翌日16日、午前5時52分。力む男たちの声に目が覚める。外は既に明るい。寝室から降りると船員たちが漁業網を力を合わせて引き上げている。海洋資源の利用に関する主権的権利を主張しに来ているわけだから、当然漁も行うということか。時々網にかかったアジが甲板に投げられる。海を見ると、正面に「4203 中国海警」と表示された巡視船が横切る。昨日とは異なる船だ。肉眼で船舶名が読めるほどの距離で、昨日より近い。今日の海警局船は昨日よりさらに大きい100メートル級。76ミリ速射砲を搭載する。それと相互けん制するように、PCG船も周囲を巡回している。船員に尋ねると昨日よりさらにスカボロー礁に近づき、同礁から30カイリほどという。

 そんな中、報道陣のカメラの向く先を見ると、海に肌色の球体が浮いている。よく見ると、ロバート神父のスキンヘッドだ。神父は巡視船がにらみ合う中、水泳を楽しんでいる。左舷側から若い女性の歓声が聞こえる。目を向けるとリーダーであるラファエラ代表が海水浴を終えて上がってきたところだ。船上の船員もどこか楽しげだ。網上げには水中に潜る仕事もあるようなのだが、水遊びをする子どものような笑顔で声を上げ、船員は飛び込んでいく。

 まき網の底が上がってくると、巨大なすくい網の出番だ。6人がかりで巨大網を持って、魚をすくい上げ、下部を開放して甲板の氷室に入れていく。1回にドラム缶1本以上の容積はあろうかという青魚が氷室になだれ込む。サバやカツオが甲板で飛び跳ねる。記者団の全カメラは、お目当てだったはずの海警船を忘れ、なんでもないはずの漁業風景に釘付けになる。

 漁の後、ラファエラ代表からアナウンスがある。いわく、非公表の先遣船があり、それが「不法に」妨害する中国船を突破し、スカボロー礁に25カイリまで接近、補給任務の実施に成功したという。だが旅洋III型ミサイル駆逐艦「銀川」(157メートル、艦隊番号175)が登場して追尾を開始、民兵船が比漁船を追い払ってきたため危険と判断し、ここでミッション完了とするとのことだった。12月にパラワン島から行った補給作戦と同じように、主船団をおとりにして海警船を引き付け、隠し玉の船で際どいところまで行く作戦だったようだ。6母船で計6000リットルの燃料、100食料パックを670人の漁民に届けられたという。

 船は進路を反転し、帰路につく。だが、海警船の追尾とPCG船の警護は続く。午後11時半ごろ、船を止め、舳先でミサが行われる。甲板の日向になっている部分は、はだしでは立っていられないほど熱せられている。海警船とPCG船が近くを周回するなか、神父はマリア像を前に、船員、ボランティア、記者のそれぞれに聖水を振りかけ、神へ祈り、中国の「違法な妨害」への対抗を訴える。

 その後のランチには、豚のシニガンに加え、さっそく先ほど取れたカツオの塩焼きが出てくる。トヨ(フィリピン醤油)にカラマンシーを混ぜた「トヨマンシー」を付けて食す。まにら新聞記者に対し「わさびがないけど、おいしいでしょう」とラファエラ代表。食事の中、その日34歳の誕生日だったという同代表をバースデーソングで祝う。船の周りで比中の巡視船が相互監視する状況とは信じられないくらいのどかな時間が流れた。危険な任務を悲壮感なくやってのけ、まして楽しんでみせまでする。フィリピン市民社会の強さはこういうところにあるのかも知れない。

 昼食を終えた船は、再び動き出しスービック港を目指す。その後も船の左舷側から海警船が追尾し続けたが、PCG船が海警船と漁船の間に位置を取り警護をする。海警船の船影は、スカボロー礁から離れるにつれ薄くなり、16日午後1時32分、水平線の向こうに消えた。(竹下友章)

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