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2月26日のまにら新聞から

「エドサの魂は消えない」 聖堂前で大規模抗議集会

[ 1438字|2024.2.26|社会 (society) ]

エドサ革命(アキノ政変)記念日の25日、首都圏ケソン市のエドサ聖堂前で、マルコス大統領や憲法改正に異を唱える大規模な抗議集会が行われた

アキノ政変(エドサ革命)記念日に合わせて行われた大規模な抗議集会=25日午後、首都圏ケソン市のエドサ聖堂前で岡田薫撮影

 アキノ政変(エドサ革命)記念日の25日、首都圏ケソン市のエドサ聖堂前(エドサ大通り沿い)で、マルコス大統領の施政や憲法改正に異を唱える大規模な抗議集会が行われた。カトリック教会や政党リスト制議員、学生、女性や人権団体など様々な運動体による約5千人近くが集まった。国家警察は午後1時過ぎの集会前の数字として参加者「100人」との発表を行って以降、午後8時時点でも正式な数字を発表していない。

 長期政権を敷いた故フェルディナンド・マルコス大統領の失脚につながった1986年の同革命から今年で38年。比では前ドゥテルテ政権下で記念日を祝うこと自体への風当たりが強くなったとはいえ、2月25日を特別非労働日として祝ってきた。しかし、フェルディナンド氏の長男であるボンボン・マルコス大統領は昨年10月、エドサ記念日を祝日から除外している。

 抗議集会の会場となったエドサ通り沿いの北側車線は午後3時ごろ、交通警察によって車の通行が禁止され、100人近くの機動隊が配備されていた。そんな中、エドサ聖堂では記念日とは無関係の日曜ミサが行われていた。そこに首都圏鉄道(MRT3号線)のサントラン駅方面から、音楽を流しながらデモの群衆が到着すると、交通を含め現場は一時騒然となった。しかし、多くの警官が遠巻きに取り囲む中、集会は平和的に進行し、けが人もなく幕を閉じた。

 政党「バヤンムナ」党首のネリ・コルメナレス弁護士は、改憲に関連しての有権者間の署名「国民発議」について登壇時に触れた。「今年1月に入って、誰もが署名の話を耳にしたと思う」とし「全国の254選挙区のうち、210カ所で署名が集められた」と明かした。「十分な資金源や組織力がなければ、こんなに早くできるものではない」とした上で「税金は署名のためではなく、薬や治療費、教育の無料化など、貧しい人たちの生活向上にこそ使われるべきだ」と非難した。

 ドゥテルテ前政権下から7年近く、会場近くの国家警察本部に収監されていたレイラ・デリマ元上院議員も集会に参加。壇上から「過去毎年のように、同じ場所で収監中の私にも声が届くように、声を大にしてくれていたことを知っている」と集会参加者に感謝の気持ちを伝えた。「エドサ革命の歴史を歪曲するプロパガンダが強まっているが、多くの者の犠牲の上に成立した『エドサ』の魂は決して消せるものではない」と強調した。

  映画「アイシテイマス1941:マハルキタ」の監督として知られ、最近ではテレビ長編ドラマ「バタン・キアッポ」で俳優も務めるジョエル・ラマガン氏も、大きな扇子を持ってカトリック修道女と登壇した。ラマガン氏は改憲に至った場合の結果として、「私たちの住む土地や日々のメディアなどが外国人の所有になっても構わないと思うか」と問題提起。政府は国民を潜在的危機から守り、そのような心配を抱かせないことが第一の仕事だと、時にユーモアを交えながら呼び掛けた。

 同日、ビサヤ地方セブ市でも野党連合「マカバヤン」グループなどの約100人がオスメーニャ通り沿いでデモや抗議集会を行った。一方でマルコス大統領は同日、エドサ革命に因んだ声明は出さなかった。代わりに自身のフェイスブック上のビデオ投稿を更新。その中で、女性支持者からの手紙に答える形で「歴史は大切だ。だが現在はフェイクニュースも多く、一度あらゆる情報を精査して、自ら正しい情報を選んでいってほしい」とのアドバイスを与えた。(岡田薫)

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