「日刊まにら新聞」ウェブ

1992年にマニラで創刊した「日刊まにら新聞」のウェブサイトです。フィリピン発のニュースを毎日配信しています。

マニラ
37度-28度
両替レート
1万円=P3,600
$100=P5,735

4月23日のまにら新聞から

カーター氏に旭日双光章 ズニエガ弁護士に旭日単光章 叙勲伝達式 

[ 1570字|2023.4.23|社会 (society) ]

大使公邸でカーター元比柔道連盟会長、ズニエガ弁護士へそれぞれ旭日双光章、旭日単光章が贈られた

勲記を持つズニエガ弁護士と越川大使=21日午後7時ごろ、首都圏マカティ市在比日本国大使公邸で竹下友章撮影。

 首都圏マカティ市在比日本国大使公邸で21日午後7時ごろ、昨年11月に叙勲が決定したダビッド・カーター元比柔道連盟会長、ホスエ・ズニエガ弁護士への叙勲伝達式がとり行われた。越川和彦駐比日本国大使は、皇居で国璽の押された岸田文雄首相名の勲記を厳かに読み上げ、カーター氏とズニエガ氏の胸にそれぞれ旭日双光章、旭日単光章を取り付けた。

 越川大使はカーター氏について「94年から大学柔道のコーチとしてキャリアを始め、国際公式審判として内外の柔道大会運営で活躍、比柔道連盟会長としては国際交流基金や講道館柔道場との協力プロジェクトに携わるなど、約30年の間柔道の発展と国際親善に尽力した。最大の功績は内外で活躍する柔道家たちを育てたことだ」と紹介し、「カーター氏はスポーツがいかに人生を変え、心を一つにできるかを証明した。柔道を通じて比日両国の架け橋となる彼の努力に、われわれは心から感謝する」とたたえた。

 カーター氏は「世界で最も尊敬される柔道チャンピオン、故・斉藤仁先生(ロサンゼルス、ソウル五輪95キロ超金)、山下泰裕先生(ロサンゼルス五輪金)も日本国による表彰を受けており、身の引き締まる思い。柔道発祥の地日本からの表彰であり、柔道人生で最高の名誉だ」と記者団に語った。

 ズニエガ弁護士について、越川大使は「日本留学で培った語学力と日本社会に関する知識を生かし、90年代から裁判所や行政機関でフィリピン日系人のための翻訳・通訳を担当してきた」とし、その中でも「特にフィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)の法律顧問としての功績をたたえたい」と強調。

 「戦中・戦後に苦難を味わった日系人の日本人としてのアイデンティティーを回復するための法律相談を行ってきた彼の支援により、約1500人のフィリピン人日系人が日本国民として再統合され、生活基盤が改善された。3800人以上の日本人の子孫の身元を調査するために、さまざまな政府機関や教会とたゆまぬ交渉を行ってきた」と説明した。

 ズニエガ弁護士は「日系2世が生まれた当時の比憲法は父系主義をとっており、父が日本人だと子どもは日本人扱いとなるため、2世は出入国管理上は外国人扱いで、生まれた時からさかのぼり査証料金を請求されるという問題に就籍事業は直面していた。そこで入管長官に直談判し、日本政府から公式に日本国籍が認められた後から査証費用が発生するという扱いにしてもらった」と取り組みを語った。

 昨年4月の在外公館長表彰受賞時はバイオリン演奏を披露したズニエガ弁護士。今回は、弟でプロピアニストのグレッグ氏の伴奏のもと、ジョーイ・アルバートの「イカウ・ラン・アン・ママハリン」(愛するのはあなただけ)、小田和正の「緑の街」を熱唱。朗々とした歌声で祝賀ムードに華を添えた。

 ▽一括解決諦めず

 伝達式にはPNLSCの猪俣典弘代表、望月賢司弁護士も出席。同代表はまにら新聞に対し「2世の方は次々亡くなっており、生存が確認されてかつ無国籍で、就籍を希望している方は現時点で約70人。一方で、石川義久在ダバオ日本国総領事に残留邦人調査へ同行いただいており、調査に行くといまだに新しく2世が見つかる。われわれはまだ(中国残留孤児のような)一括解決も諦めていない」と語った。

 また「3週間前に東京事務所にダバオ生まれの93歳の女性が沖縄から来て『比でまだ生きているはずのきょうだいを探してほしい』という相談も受けた」とし「そのおばあさんはバゴボ族に保護され育てられていたきょうだいのうち1人を自力で見つけ出している。こうした生き別れのケースも多い」とし、7〜8月には地元メディアや先住民組織にも協力を呼びかけ、調査を行う予定があることを明らかにした。(竹下友章)

社会 (society)