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9月1日のまにら新聞から

2万人の視力救う 服部匡志医師にマグサイサイ賞

[ 1603字|2022.9.1|社会 (society) ]

「ベトナムの赤ひげ」で知られる服部匡志医師がマグサイサイ賞を受賞

マグサイサイを受賞した服部匡志医師(左上)、ガリー・ベンチェギプさん(右上)、ベルナデット・マドリッド医師(左下)、チム・ソテアラ医師(右下手前)

 「アジアのノーベル賞」とされるラモン・マグサイサイ賞の今年の受賞者が8月31日午前に発表された。今年の受賞者は4人。うち1人は、2002年以降ベトナムで無償の眼科医療活動を行い「ベトナムの赤ひげ」として知られる服部匡志医師(58)が選ばれた。他には、比で虐待を受けた児童の保護施設を全国に設置する活動を推し進めてきたベルナデット・マドリッド医師(64)、カンボジアで虐殺後のトラウマ患者に対する治療活動を行ってきたチム・ソテアラ医師(54)、インドネシアで河川浄化活動を行うフランス人環境運動家・映画監督のガリー・ベンチェギプさん(27)が受賞した。

 服部さんの授賞理由についてマモンマグサイサイ財団のアウレリオ・モンティノラ会長は「ベトナムの僻地(へきち)や貧困地区での人道的医療活動により2万人の視力を救うとともに、能力と財産を他者のために費やすことで人生を変えられるということを世界に示した」と説明。国境を越えた他者への献身をたたえた。

 服部さんはオンライン上のマイクトラブルで発言できなかったが、満面の笑みで手を振り喜びを表した。

 服部さんは1964年生まれ、京都府立医科大学医学部卒。網膜剥離など水晶体疾患から視力を回復する水晶体手術で日本随一の技術を持つ。2002年、学会でベトナム人医師から3カ月間の招聘(しょうへい)を受けたことがきっかけでベトナムでの活動を開始。月の半分を日本でフリーランスの医師として勤務して活動資金を貯め、もう半分をベトナムで無償の医療を提供する生活を送っている。

 2007年にベトナム政府による「人民保健記念章」、14年には外国人に贈られる最高位の「友好勲章」を叙勲された。18年には天皇皇后両陛下(現上皇・上皇后両陛下)に謁見し、ねぎらいと応援の言葉をかけられている。

 ▽総合保護施設を全国に

 一方、フィリピンからの受賞者となったマドリッド医師ついてモンティロナ会長は「虐待・暴力の被害に遭った児童に医療的、社会的、法的保護を提供する活動の最前線で活躍する、児童保護の十字軍だ」と形容。全国の自治体病院などに女性や児童の保護を行う「女性・児童保護ユニット」(WCPU)の設置を進めた同医師の功績をたたえた。

 マドリッドさんは比総合病院の児童保護ユニットディレクターを務めながら、児童保護専門家の訓練とWCPU設置を支援するNGO「児童保護ネットワーク・ファウンデーション」の専務理事として児童保護の環境整備に取り組む。現在、59州10独立市に115のWCPUが設置され、9万8000人の子どもと女性が支援を受けている。

 カンボジアのチム医師は、70年代に人口の約4分の1が命を奪われたポルポト派による大粛清の生存者。粛清を生き延びた人々の多くが「バスクバット」(壊れた勇気)と呼ばれるカンボジア独自の心的外傷後ストレス障害(PTSD)類似症状を抱えており、その治療に約20年間草の根レベルで取り組んできた。モンティロナ会長は「精神医療において従来の治療法を調整し、現地化することに成功した」と功績をたたえた。

 また、27歳の若さで受賞したベンチェギブ氏について同会長は「インドネシア河川のプラスチック汚染問題に粘り強く戦う、年齢と国境を越えた新しいリーダーシップの優れた例であり、反プラスチック汚染の戦士だ」と称賛した。

 受賞者4人は9月~11月にかけて公開公演を行い、授賞式は11月30日に首都圏マニラ市のラモン・マグサイサイセンターでとり行われる。

 マグサイサイ賞は、清廉な政治で支持を集めたが任期中に飛行機事故で不慮の死を遂げたラモン・マグサイサイ第7代大統領を記念し創設。1958年からアジア地域で傑出した社会貢献した個人・団体に贈られている。2009年以降は特に部門を設定せず授与されている。(竹下友章)

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