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8月15日のまにら新聞から

台風オデットからの復興① 「きょうだいの見舞金が嬉しかった」 8カ月目のセブの現状 台風・新型コロナの二重苦で

[ 1443字|2022.8.15|社会 (society) ]

2021年末にビサヤ地方やミンダナオ地方の北部一帯を襲った大型の台風22号(比名オデット)。それから8カ月目を迎えつつある8月4日と5日にセブ州を取材した

屋上のサインボードなどが倒壊し、屋根もめくれ上がったままの家具販売店=4日午前9時半過ぎ、セブ市内で岡田薫撮影

 2021年のクリスマスを前にビサヤ地方やミンダナオ地方北部一帯を襲った大型の台風22号(比名オデット)は、被災した各地で通信や電気、水道を数週間から数カ月にわたって寸断した。家屋倒壊や土砂崩れなどによる死者は400人以上に達した。世界的な観光地として有名な北スリガオ州のシャルガオ島やセブ島南東にあるボホール島、日本人観光客も多いセブ・マクタン島やその離島など地域一帯は壊滅的被害を被った。台風直後には「完全復興には2025年までかかる」との憶測も聞かれた。それから8カ月を迎えつつある8月4日と5日にセブ州の現地を取材した。昨年大晦日に訪れた際、マクタン・セブ国際空港(ラブラプ市)周辺やセブ市内でも倒木や電柱が倒れ、家屋や建物の倒壊や半壊も目に付き、一部を除いて、ほぼ電気や水道が途絶えたままだった。街全体に黒っぽい幕が下りたようで、まさに混乱の最中にあった。通信も途絶え、橋を隔て「孤島」と化したマクタン島では、被害の深刻さに言葉を失った。当時と比べれば、今回目に付いたのは、観光地としての表情を取り戻しつつあり、過去よりも現在に生きるセブ住民の前向きな姿だった。

 空港からセブ市に向かう道の両側からは台風の傷跡がほぼ消えていて、被災し建て替え中だった家や建物も大半がすでに元通りになっていた。金額を吹っかけてきたタクシーはほぼ皆無で、空港タクシーでも料金メーターを使ってくれた。

▽真っ暗なクリスマス

 首都圏マニラ市のサンパロック地区出身で7年前にセブ市へと移住、現在マンバリン地区に住むタクシー運転手のサニー・バルバチャノさん(48)は、12月16〜17日にかけてセブを通過したオデットで自宅の屋根が吹き飛んだが、「クリスマスに電気や水が出なかったことが悲しかった。飲み水は地区の井戸からポンプで汲み上げたものを沸かして飲んだ」と回想した。バルバチャノさんによると、電気が回復したのは2月だったものの、隣人に比べ自宅の被害は小さい方だった。一方で、午前6〜10時はガソリンスタンドに並び、高値でガソリンを購入しながら「タクシー業を続けた。マニラにいるきょうだいが多少の見舞金を送ってくれて嬉しかった」と明かした。

 バルバチャノさんは、1998〜2002年までは中東のカタール、06年まではサウジアラビアで海外比人就労者(OFW)として働いた。母方の曾祖父が第二次世界大戦中の日本兵で「名前は思いだせないが、サンパロックで戦死したと聞いている。私の顔は日本人みたいだろう」と笑った。日系2世である祖母は20年のコロナ禍で亡くなったという。

▽政府の現金支援届かず

 政府はオデットで自宅が被害を被った各世帯向けに5千ペソの支給を約束しており、バランガイ(最小行政区)議長らが写真を撮って回っていたが、バルバチャノさんはこれまで現金を受け取っていないという。「周辺でも私の知る限り受け取った人は半分ぐらいだろう。資金があってもどこかでそれをポケットに入れてしまう人間がいるんだ」とも語った。

 観光客の状況については「外国人はまだ少ない。新型コロナ前の35%程度と言っていい。かつてはセブ島南部などへタクシーで行く団体旅行もよくあったが、コロナ以降は一度もない。台風というよりコロナ禍で英語学校の生徒もオンライン授業が主になってしまったことも客の減少に拍車をかけている」とバルバチャノさんは台風とコロナの二重苦に置かれた状況を教えてくれた。(岡田薫)

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