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4月3日のまにら新聞から

最後の晩餐(ばんさん) 大統領の任期終了に寄せて

[ 843字|2022.4.3|社会 (society)|新聞論調 ]

ドゥテルテ大統領の6年にわたる任期が6月30日正午に終了する。

 ドゥテルテ大統領の6年にわたる任期が6月30日正午に終了する。第16代大統領はじきに、権力の最高位を卒業し、自らが切望していた権力を持たない一般市民に戻る。彼自身の発言にその興奮が見て取れる。定例演説で大統領は宮殿を出たくてうずうずしていることを口にした。

 実際3月14日の彼との夕食会では彼の目にその気持ちがにじんでいた。大統領としてのドゥテルテ氏との夕食会はこれが最後になるだろう。私たちは長年の友人で、いつもこの友情を楽しみ、大切にしてきた。

 彼がダバオ市選出の1期目の下院議員だった第11回国会で、私は下院議長を務めていたが、それが最初の出会いだった。中東の海外フィリピン人就労者(OFW)の窮状に関する調査で、下院議員が公式訪問をした際、機内で隣りの席に座り、意気投合したのを覚えている。ドゥテルテ大統領はタイを公式訪問した時に、OFWを前に当時の私とのエピソードに言及した。

 大統領は「帰りにビリヤール氏の顔の前でくしゃみをした」と話したが、私は肯定も否定もしない。大統領が地に足のついた優れた特徴を兼ね備えた人であることを示すものだ。それが、何百万人もの比人が彼に投票し、高い信頼を得ている理由だと考えている。話し易く、親しみ易い、一緒に酒を飲んだり笑ったりできる人だ。

 一生忘れられない思い出の一つは、2001年に私がエストラダ大統領の弾劾を主導した際に、エストラダ氏の支持者らから多くの不評を買った時のことだ。当時のドゥテルテ市長は、ダバオ市に私を招き、市内を案内してくれた。街を歩き、市場に立ち寄ってドリアンを分け合った。庶民とも話をし、政治的混乱を忘れさせてくれた。

 西部劇の典型的な結末のように、夕日に向かって走り去る彼の姿が目に浮かぶようだ。またダバオ市で、普通の市民に戻った「ディゴン(ドゥテルテ氏の愛称)」に会い、食事をしたり、ドリアンを一緒に食べたりしたいものだ。(3月30日・ブレティン、マニー・ビリヤール、元上院議長で不動産王)

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