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UNHCRが比残留日系人に初言及 比国内の910人が無国籍か

[ 1110字|2021.5.5|社会 (society) ]

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は報告書において、19世紀後半から1945年までに、比へと移住した日本人の子どもたちで戦後無国籍となったケース(フィリピン残留日系人)について初めて言及した

戦後の混乱で無国籍となっていたフィリピン残留日系人2世で日本で新たに戸籍を作る「就籍」を広島高裁に認められたメラニオ・タクミさん(右)と長男のジュセブンさん=2018年12月、広島市(フィリピン日系人リーガルサポートセンター提供)

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のフィリピン事務所は、4月発表の無国籍問題に関する報告書で、19世紀後半から1945年までに比へと移住した日本人の子どもたちで戦後も残留し無国籍となったケース(フィリピン残留日系人、以下PJD)について初めて言及した。比政府は2010〜11年にかけて、無国籍リスクにある人々を「先住民バジャウ、インドネシア系の人々、武力紛争による強制移動の背景を持つ未登録の子どもたち、捨て子、移住先のフィリピン系の子どもたち(マレーシアのサバ州や湾岸諸国)」としていた。UNHCRによると、当時PJDは、比の国籍を選択する権利を行使できるといった誤解があり、対象外とされてきた。

 同報告書によると、PJDの多くは、1世として比へ渡った父親が、第2次世界大戦中に日本軍から徴兵され、戦死したり、捕虜となって戦後本国送還されたりした。その子どもであったPJDは、比人の間で日本の残虐行為の報復対象となり、身元を証明する書類や写真を捨て、血筋を隠して山岳部などに逃れ、まともな教育も受けられなかった場合が多い。

 NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)は日本の外務省の委託を受け、9回の現地調査を敢行。1995年以降、PNLSCなどの調査によって、これまで全国で特定されたPJDは3836人に上る。うち1275人がその後、日本国籍を取得。しかし、1651人が国籍を取得する前に死亡・不明となっており、現在生存するとみられる910人の無国籍リスクが指摘されている。高齢化から、毎年100人のPJDが亡くなっているともいう。

 PNLSCは4月30日、声明を発表し「今回の報告書が、無国籍状態に残されている2世の国籍回復(付与)への大きな後押しになる」とし「2国間での解決の道が提起された意味は大きい」とも述べ、早期解決への期待を示した。

 一方で比司法省は、これまで13人に「無国籍」の認定を与えている。うち6人がPJDで、同様にPJDとして同省に申請中の102人が、難民・無国籍者の地位の決定手続きで保留となっている。認定PJDの平均年齢は現在81歳だという。 比政府は2019年10月の閣僚級会合で「無国籍者に関する研究の継続」と「そのリスクにさらされている人々に関する質的・量的データの向上」を公約していることから、同報告書は「比政府の優れた活動を支援する」としている。比政府は「2024年までに無国籍者を解消するための国家行動計画」を採択するなど、難民や無国籍者の保護の領域で、世界的なリーダーシップを発揮してきたとの評価をUNHCRから得ている。(岡田薫)

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