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10月31日のまにら新聞から

マリキナ靴博物館

[ 1151字|2004.10.31|社会 (society)|名所探訪 ]

イメルダ夫人の栄華の跡

 マリキナ川近くに白い石造りの建物が建つ。屋根は赤茶色のスペイン風。約百五十年前建造の精米所を転用し、二〇〇一年に開所した靴博物館だ。

 中に入ると、館内約千足のほとんどが、イメルダ・マルコス元大統領夫人から寄贈された靴。金、黒、ピンク、緑、赤……きらびやかなハイヒールの数々。その数約六百足。レーガン米大統領、中国の毛沢東、日本の昭和天皇をはじめ、夫人が面談した世界の要人の写真も展示されている。

 最も高価とされる靴は、フランス製と米国製の四足。メッシュや銀色、青といった生地に細かなサファイアがちりばめられている。当時、いくらで購入したのかも、現時点での価格も不明とされる。

 一九八六年二月、長期独裁に終止符を打たれ、マラカニアン宮殿を追われたマルコス元大統領。その夫人が残した品で最も記憶されているのが愛用した「靴」。約三千足という数は人々を驚かせた。

 夫人の靴収集へのすさまじい執念は幼少時に素足の生活を強いられたためとの説が有力だ。国内外に靴を供給し「靴の都」と呼ばれるマリキナ市の靴業界は、二〇年に及んだマルコス政権下、世界の著名人と親交を結んだイメルダ夫人の交際の広さに注目した。世界にマリキナの靴を宣伝してもらうため、夫人にマリキナ製の靴を二十ダース、三十ダースと寄贈した。

 同博物館職員のキアンバオさんによると、当時のバヤニ・フェルナンド市長は〇〇年に市立の靴博物館設置構想を打ち出した。さっそくイメルダ夫人に数足の寄贈を求めると、夫人からはなんと七百七十八足が贈られてきた。その中には、「MARO」「LADY RUSTAN‘S」と呼ばれるマリキナブランドの靴もあり、「里帰り」した。

 また、ラモス元大統領や副大統領時代のアロヨ大統領の靴、日本のゲタなど世界の民族靴も展示されている。だが、主役がイメルダ夫人だけに、博物館の中は一九八六年以前のマルコス時代の雰囲気が醸し出されている。

 マリキナの靴産業の起源は十九世紀後半にさかのぼる。現在、約三百社の元請け、約千社の下請けと材料供給会社が約六万人の従業員を抱えている。国産品の約七割、日に五万足、年間一千万足以上を生産する。市投資促進課は「中国製品流入の影響は多少ある。しかし、丈夫さと安さで近年の売上高は年率二〇%近く伸びている」と話している。

 来館者も開館以来、〇二年約一万千人、〇三年一万八千人と順調に伸びている。修学旅行生の訪問が多く、今では市一番の観光名所となった。

 一方、国を圧政と汚職の巣に陥れた人物を礼賛しているという批判もある。ヌエバエシハ州から訪れた旅行会社の社員(26)は「高校生らの修学旅行を検討している。生徒たちがまずイメルダ夫人を知り歴史を学ぶことが大事なのでは」と語った。(川村 敏久)