21日の反汚職大規模デモに先立ち、ある大規模教会の関係者が国軍指導部に接触し、マルコス大統領を退陣に追い込む計画を極秘裏に協議を行っていたとの情報が出ている。ピューリッツァー賞受賞ジャーナリストのマニー・モガト氏が24日、調査報道を行う「ラスイスラス・フィリピナス」に独自取材記事として寄稿した。
モガト氏が関係者による情報として説明したことろによると、大規模デモの数日前に大規模キリスト系団体の指導者がある陸軍司令官に会い、最高司令官(大統領)に反旗を翻すように説得したという。その教会指導者は50万人をリサール公園に集め、大統領府に行進させると約束。その行進の実施が、国軍によるマルコス政権への支持を取り下げるためのサインだったという。
同様のことは、2001年1月19日に当時のレイエス参謀総長が、エストラダ大統領に対する辞職要求デモに参加し、政権の支持を取り下げたときに発生している。
しかし、問題となったのは、教会側がサラ副大統領を次期大統領に据えることを望んだことだったという。陸軍司令官はその提案を蹴り、30人の文民・軍人からなるフンタ(評議会)により運営する革命政権を逆提案。革命政権は治水汚職に関与したとされる国会議員、政府職員を拘束することを構想していたという。また、カトリック教会からは2人の聖職者が革命政権への参加の意向を示したが、その上位者から憲法を破る行動に参加しないよう止められていたという。
大統領退陣計画を持ち込んだ教会の指導者は、ドゥテルテ政権と関係のある退役将官と共に、窓口となっていた陸軍司令官と交渉を続けたが、その陸軍司令官は「サラ副大統領の大統領昇格は米国が喜ばない」として消極的だったという。19日に同指導者は再度陸軍司令官と面会したが、今度ははっきり断られた。デモ前日の20日になり、その教会指導者は支持者らに抗議活動に参加しないように命令を出したという。
1986年以降、国軍の協力のもとで政権が打倒されたのは86年に旧マルコス政権を崩壊させたアキノ政変(エドサ革命)と2001年にエストラダ大統領を退陣させた「エドサ2」の2件だけだが、未遂の政権転覆の試みは12件あるという。
マルコス大統領は21日以降、公開の場に姿を現していなかったが、大統領府のカストロ報道官は24日、「大統領は非公開の会議で指揮をとっていた」と説明し、公の活動を再開するとした。(竹下友章)