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11月21日のまにら新聞から

映画館はおしまいか 比初の映画館と映画

[ 781字|2021.11.21|社会|新聞論調 ]

 国家文化芸術委員会(NCCA)によれば、フィリピンで初めて映画を上映したのは、ウォルグラという名前の英国人で、1900年マニラ市イントラムロス内サンタロサ通りの映画鑑賞専用の建物、すなわち映画館でのことだった。

 その2年後、2番目の映画館「パリジャン映画館」をスペイン人のレバルバルという起業家がキアポに開いた。

 フィリピン人による初めての映画館は、03年ホセ・ヒメネスによってトゥトゥバン駅前に建てられた。その名は「リサール映画館」。その後、映画が多く供給され、映画館が林立するようになった。

 ストーリー仕立ての映画で、フィリピンで初めて作られたのは09年の「フィリピンのバラ」だった。カール・レメリーの独立映画会社であるIMP社の8分、760フィートの映画が10年にアメリカで封切られた。11年に比でも封切られたとき、新聞に「初めて比で製作された映画の一つ―帝国時代の劇的な物語」との広告文が出た。

 それからも映画館はさまざまな変遷をたどった。映画はいまやフィリピン人が好む娯楽となった。しかし昨年、感染症への防疫規制によって映画館が閉じられた。今、徐々に映画館が再開しつつある。ネットに飽きた人々が映画館に戻り始めている。

 観客は定員の30%以下で、ワクチン接種完了、マスク着用、食事禁止、社会的距離などの順守が条件だ。ホームシアターがいかに立派でも映画館には映画館にしかない魔法と高揚感がある。

 とはいえ、映画館はこれからも生き残れるのだろうか。見たい映画を随時ネットで見ることが一般化して、人々の映画の見方が大きく変わった。

 コロナ禍により芸能界はいまだ立ち直りに向け苦闘している。映画配給会社で倒産した会社もある。来年の新常態を前に業界は今、移行期にある。(19日・マニラブレティン文化担当編集長ロバート・レキンティナ)

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