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8月22日のまにら新聞から

ニノイ・アキノ・デー政府機関無言 上院も今年は発信なし

[ 1291字|2022.8.22|社会 (society) ]

21日の二ノイ・アキノ・デーで政府機関はほとんど無言を貫いたほか、国家警察の一部部署は「英雄ではなく、ゲリラだった」と投稿。英雄たちの記念碑資料館ではアキノ氏を追悼する集会が開かれた

 「英雄たちの記念碑」資料館の中庭にあるマルコス政権期の人権侵害に関するシンボル的な銅像。同資料館も21日で設立36周年を迎えた=「英雄たちの記念碑」資料館のフェイスブックより

 今月21日は、39年前のマルコス元大統領政権下に、マルコス氏の最大の政敵だったニノイ・アキノ元上院議員が亡命先の米国からマニラ国際空港に戻った直後に、国軍兵士らに身柄を拘束され飛行機のタラップを降りる途中で何者かに射殺され世界に衝撃を与えた暗殺事件を記念する国の祝日「ニノイ・アキノ記念日」だった。しかし、ボンボン・マルコス大統領が就任した直後の政府機関は少なくとも同日正午まではいずれも無言を貫いたほか、国家警察の部署の中には「アキノ氏は英雄ではない」「NPAのゲリラだった」との投稿も行われた。21日の英字紙スター電子版が報じた。

 これまで毎年、この記念日に関する声明を出していた大統領府は21日午後3時すぎまでに記念日に関する声明を出さなかった。フィリピン情報局も同日、SNS上でニノイ・アキノ氏には触れず、国連の記念日である「テロ被害者想起と追悼の国際デー」に関する投稿を行っただけだった。

 また、上院議会は昨年の8月21日、かつて同じ上院議員だったアキノ氏について「自由と民主主義のために闘ったフィリピン人のシンボル」だとして追悼するツイートを投稿していたが、今年は何も声明を出していない。

 さらに、政府機関のエドサ・ピープルパワー委員会の任務の一部を引き受けているフィリピン国家歴史委員会も同日午前中は、SNS上で記念日には触れず、スペイン時代のフィリピン人による改革運動に関するウェビナーへの参加を呼びかける投稿を行っただけだった。しかし、同日午後になってようやくニノイ・アキノ氏の追悼に関する投稿を行っている。

 一方、バタンガス州とケソン州にある国家警察の沿岸警備部隊詰所は20日、自身のツイッターで、暗殺された元上院議員は「英雄ではない」とし、比共産党の軍事部門、新人民軍(NPA)の「ゲリラだった」と批判する投稿を行った。これについて、国家警察の報道官は21日、メディアに対するメッセージを出し、「投稿はすでに削除された。われわれはその投稿の責任者を特定するために捜査を行っている」と説明に追われた。

▽ケソン市では追悼集会も

 急進的市民団体「バヤン」のレナト・レイエス議長は21日、ツイッターで「二ノイは共産主義者ではないと同時にNPAでもない。しかし、当時はマルコス独裁政権に対して(武装して)闘った多くの者たちがいた」と訴えた。また同議長は「これら地下組織に加わって独裁政権に立ち向かった者たちは『テロリスト』ではなく英雄である」と付け加えた。1970年代から80年代にかけてマルコス独裁政権時代に行方不明になったり殺された活動家や市民たちの記録を集め展示している民間資料館「英雄たちの記念碑(バンタヨッグ・ナン・マガ・バヤーニ)」(ケソン市)では21日午後1時、ちょうど二ノイ・アキノ氏が暗殺された時間に合わせて追悼集会が開かれた。この日は戒厳令期の記録を収集・保管する活動を行っている市民団体「プロジェクト・グニータ(追想事業)」や「マルコス家や戒厳令の復帰に反対するキャンペーン」などの関係者らが集まった。(澤田公伸)

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