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3月9日のまにら新聞から

台風ヨランダ30号

[ 1376字|2014.3.9|気象 災害 (nature) ]

被災から4カ月。生計手段、家屋再建など課題山積み。不安な暮らしを続ける被災者

「政府支援は不十分」と訴えるシスター・エディタ・エスロポさん(右)=8日午後2時40分ごろ、首都圏マニラ市で写す

 ビサヤ地方を中心に壊滅的被害をもたらした台風ヨランダ(30号)の襲来から8日で、4カ月が経過した。被災各地では、政府や非政府組織(NGO)など民間団体による復興に向けた支援活動が続いている。レイテ州の州都タクロバン市などでは、路上にあふれていたがれきの処理が済み、一部商業施設は営業を再開した。一方で、家屋と生計手段を失ったまま先の見えない不安な暮らしを余儀なくされる被災者が依然として多くいる。首都圏マニラ市の中央郵便局前にはこの日、「進まない被災地復興」に不満を持った左派系団体ら約300人が集まり、アキノ政権に抗議の声を上げた。

 東日本大震災の被災地では2011年3月の被災から丸3年を目前にした現在も、約10万人が仮設住宅に住み、時間の経過とともにボランティアの数も減少するなど、大災害からの復興の難しさが浮き彫りになっている。4カ月たったヨランダ被災地でも、本当の暮らしを取り戻すためには、政府と民間両面からの被災者への継続的支援が重要なカギになる。

 「被災直後に生まれた生後4カ月のおいにミルクを買ってあげるお金もない。でも、家族のためにも、私は強く生きなくてはいけないの」。主婦のジェイド・カラマヤさん(30)は、目にたまった涙を拭きながら、毅然(きぜん)と話した。

 レイテ州タナワン町パゴに住むカラマヤさんは台風襲来前、養鶏を営んでいた。しかし、鶏200羽と自宅は高潮の濁流に全て飲み込まれた。今でも、電気のないテント暮らし。職は見つかっていない。家族からの送金で何とか暮らしをつないでいるという。

 今月初旬、カラマヤさんは夫とともに、叔母から生活費を借りるため、ルソン地方にやってきた。5千ペソで仕入れた食料と薬を持って8日、首都圏ケソン市で長距離バスに乗り、タナワン町に帰るという。「移住はせず、ふるさとに残ります。住民がいなくなってしまったら復興できませんから」。

 6人の子どもを持つオーリー・コメンダドーさん(41)=タクロバン市=は、冷房機器を整備する仕事を再開したが、台風以降、依頼の件数は激減。たまに入る注文で得る収入は1件約300ペソ。今、家計にある現金は5千ペソだけというコメンダドーさんは、マニラ新聞の電話取材に対し「家を再建したいが、建材の値段が高騰していて、とても手が出せない」と涙声で苦しみを吐露した。

 サマール州バセイ町長の秘書、ロイ・アビラさんによると、レイテ州タクロバン市からオートバイで約1時間離れた同町では、道路のがれきが収集され、交通網は完全に回復した。農務省の支援で生活を取り戻し始めた漁師や農家もいるという。アビラさんは「建築禁止区域に指定された約6千世帯の移住地を確保する予算がない」と、住民の家屋再建をあらためて優先課題に挙げた。

 首都圏マニラ市で8日に開催された左派系団体らの抗議集会には、子どもを抱えた被災者の写真を手にしたシスター・エディタ・エスロポさんがいた。シスター・エスロポさんは2月中旬、アキノ大統領との面会を求めてマラカニアン宮殿を訪れたが、面会を拒否された。シスター・エスロポさんは「政府の被災者支援は不十分です。被災者の苦悩は増すばかり」と現政権を批判、1世帯当たり4万ペソの現金支給、建築禁止区域設定の撤廃などを求めた。(鈴木貫太郎)

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