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3月28日のまにら新聞から

エドガル・ガクタン新司教インタビュー(上) 東日本大震災の被災地支援に奔走 

[ 2019字|2022.3.28|社会 (society) ]

比人初の日本司教区トップに就任したエドガル・ガクタン新司教に話を聞いた

(上)オンライン会議アプリでのインタビューに応じるエドガル・ガクタン氏=3月22日。(下)東日本大震災の在日外国人被災者向けなどに支援を行ったカリタス大船渡ボランティアベースのスタッフとガクタン氏(中央)=2014年撮影、ガクタン氏提供

 昨年12月8日にローマカトリック教会の教皇フランシスコからフィリピン人として初めて日本の司教区(仙台教区)トップに任命されたエドガル・ガクタン氏(淳心会元日本管区長)の司教叙階式と着座式ミサが19日、仙台市青葉区の元寺小路教会(カテドラル)で執り行われた。仙台教区は青森と岩手、宮城と福島の4県にあるカトリック教会を管轄し、1万人ほどの信者を抱える。戦後の外国人司教としては3人目となるガクタン氏に、まにら新聞がインタビューした内容を2回にわけて紹介する。

▽フィリピンの「東北地方」生まれ

 ガクタン氏は1964年9月にルソン地方カガヤン州エンリレ町で生まれた。父親が工務店の経営者やジプニーの運転手など職を転々としながらガクタン氏ら5人の子どもを夫婦で育てた。同州を含むカガヤンバレー州は国内でもカトリック信仰が盛んな土地柄で、ガクタン氏が親族の中で初めて神学校に進んだが、反対されることはなかった。カガヤン州はルソン島の東北端にある州でガクタン氏は故郷の山河が「日本の東北地方ととても似ている」と話し、今回の司教就任地と自身の故郷との「なんらかの縁」を感じているという。

 ガクタン氏は1981~85年にかけてバギオ市のセントルイス大で哲学、86~89年にマニラのマリーヒル神学校で神学を勉強後、1990年2月に神学生として初来日した。93~94年までの一時期比に戻り、司祭に叙階。その後、94年5月に再び日本に派遣された。94~97年に大阪大司教区金剛教会・三日市教会で叙任司祭となった後、97~2003年にかけて大阪教区堺ブロックの共同宣教司牧チーム、04~12年までカトリック修道会の一つである淳心会の日本管区・管区長、17年からは東京大司教区の松原教会の主任司祭を歴任している。

▽2度の大震災に遭遇する

 実はガクタン氏は日本で2度にわたる大震災を経験している。1997年1月の阪神・淡路大震災と2011年3月の東日本大震災である。阪神・淡路大震災では神戸市長田区にあったカトリック鷹取教会が全焼している。鷹取教会の神田裕神父は自らが被災し、教会が全壊、全焼したにもかかわらず、焼け落ちた教会を目指して多くのボランティアが駆けつけたことから、教会の敷地内は高齢者や外国人などを支援する多くの市民グループが活動する基地となった。この支援基地では日本語が分からない外国人に向けて生活情報を発信するコミュニティーFМ放送局が設立されるなど地域の復興を支える多様な活動が展開。その後、再建された教会の敷地内にNPО法人「たかとりコミュニティーセンター」が設立され現在まで活動が継続されている。

 2011年3月11日に東日本大震災が発生した際、この神田神父らがすぐに宮城県などの被災地に入り、カトリック教会として本格的な支援活動が必要だと痛感する。ガクタン氏は「神田神父は甚大な被災を目の当たりにし、これは仙台教区だけの仕事ではない、日本のカトリック全16教区がオールジャパンで支援活動に取り組む必要があると判断されました。また大船渡や気仙沼には日本人と結婚したフィリピン人妻が多く、仮設住宅にも多数が入居していました。彼らの言葉が分かる司祭らが支援活動に取り組むべきだとなり、淳心会ではフィリピン人とタガログ語の出来るインドネシア人の司祭を現地に派遣しました」と当時の様子を話す。ガクタン氏も14年から17年まで仙台教区外国人支援センター長として東北で被災した在日外国人の支援活動に取り組んだ。

▽アキノ大統領の通訳を務める

 東日本大震災が発生した直後、東北被災地から約150人の比人とその家族が在日フィリピン大使館が差し向けた救援バスで東京に避難し、その後、フィリピンに一時帰国しているが、都内のカトリック教会に緊急避難所が開設されている。また、比政府は6月に2週間にわたり医療チームを比から派遣、外務省の協力を得て、被災地の比人のケアに当たっている。ノイノイ・アキノ大統領=当時=も9月26日に宮城県の石巻教会を訪問、東北各地から集まった200人近い在日フィリピン人と面会し、激励している。

 ガクタン氏はこのアキノ大統領が石巻教会を訪問した時に通訳を務めている。同氏は「フィリピン大使館からの要請を受けてカトリック教会が場所を提供する形で実現しました。でもアキノ大統領は早口なので通訳が大変でした」と苦笑いする。しかし、震災直後に仙台教区は各地の教会に司祭をかならず一人常駐させたほか、東京などからガクタン氏を始め比人司祭などがタガログ語によるミサや支援活動を強化したことから、比人妻らがミサに多く集まるようになったという。「大船渡をはじめ各地のカトリック教会がフィリピン人たちの心の駆け込み寺のような場所になったのは確かです」とガクタン氏は当時を振り返る。(澤田公伸、続く)

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