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3月10日のまにら新聞から

困難乗り越え22人が旅立つ マニラ日本人学校で対面の卒業式

[ 1504字|2022.3.10|社会 (society) ]

マニラ日本人学校(MJS)で第50回卒業式が開かれ、小学部13人、中学部9人が卒業

(上)マニラ日本人学校の第50回卒業式が対面式で実施された。(下)マニラ日本人学校中学部の卒業生ら=8日、首都圏タギッグ市で岡田薫撮影

 首都圏タギッグ市のマニラ日本人学校(MJS)で8日、第50回卒業式が開かれ、小学部13人、中学部9人が卒業を迎えた。新型コロナの影響で昨年は屋外での開催となったが、今年は屋内が許可され、体育館には教職員や卒業生の保護者、来賓も招かれた。在校生は各教室からオンラインを通して式典を見守った。

 梶山康正校長は、小学部6年生に向けて「笑顔は安らぎであり、笑顔があるところに人は集まる」とし「みなさんを見ていると百花繚乱(ひゃっかりょうらん)という言葉が思い浮かぶ。笑顔を絶やさなければ、必ず多くの人が周りに集まってくる」とのメッセージを伝えた。

 中学部3年生には「きみたちが歩むその足下から新しい世界が始まる」という写真家ユージン・スミス氏の写真集「楽園へのあゆみ」に、フランスの詩人が添えたという言葉を教えた。「暗い場所から明るい場所へと踏み出す子どもの写真が、戦争で傷ついた多くの人々に、希望の光と明るい未来を感じさせた」と語り、新型コロナという「暗い時代」を経験した生徒を力づけた。スミス氏はその後、水俣病の被害者を撮り続け、世界にその実態を知らせた功績で知られる。

▽開校を待ち続けた日々

 卒業生代表として「旅立ちの言葉」を読んだ澤村和希さんは、2020年3月の防疫封鎖でそれまでの明るい生活が一変したことに触れた。オンライン授業が始まった2年時、「急な変化に誰もが驚いたと思う」とし「いつ開校するのか待ち続けながら、登校できない日々が続いた」と振り返った。その一方で「ただ待つだけではなく、対面授業のころと同じように学校生活を楽しもうとした」と前向きにとらえ、その例としてMJSオンライン・フェスティバルや委員会活動などを挙げた。

 後輩に向けたメッセージとして「オンラインでは普段まったく話さない環境になってしまっていたが、画面を通じてがんばる姿を見ることができて、とても頼もしかった。対面授業が再開してから少しでも絆を取り戻せた気がしている。静かだった校舎を賑やかにしていってほしい」と語りかけた。

 中野南さんは、在校生を代表して「先輩たちは私たちの目標であって心の支えだった。この先一人一人が違った道に進んでいくことになる。迷ったり嫌になったりした時は、MJSで感じた喜びや悲しみ、辛さなどを思い出してほしい」との言葉を贈った。

 中学部卒業生の横山諒さんの母親は、まにら新聞に「とても嬉しい」と率直な喜びを伝えた。防疫下で「子どもは家で勉強漬けになっていて、ストレス発散の方法が少ないことがかわいそうだと感じた」とも話した。

▽児童・生徒数が増加に

 MJSでは昨年11月26日、対面授業が630日ぶりに再開したが、今年に入って防疫警戒レベルが再び引き上げられたことで、オンライン授業が2月23日まで続いていた。オンラインと対面式を織り交ぜたハイブリッドな教育方式から、日本に帰国後もMJSで学ぶ児童・生徒もいる。今回の卒業式には2人が日本から参加していた。うち1人は卒業証書授与の時間帯と高校入試の時間帯がかぶるハプニングもあった。

 MJSは2020年の首都圏防疫強化地域(ECQ)発令前の3月9日に休校を決めたが、同年5月11日と早い段階からオンライン授業を行ってきた。コロナ禍に455人いた在籍児童・生徒数は21年10月31日までに146人に減少。ただ、その後増加傾向に転じ、現在は158人となっている。

 今年の卒業生のうち、日本での進学を予定する児童・生徒は小学部が3人、中学部が6人。また教員の離着任は共に9人を予定しているという。(岡田薫)

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