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11月24日のまにら新聞から

犠牲者58人の背景 マギンダナオ虐殺10年

[ 653字|2019.11.24|社会 (society)|新聞論調 ]

 マギンダナオ虐殺の裁判で起きたことがまた起きないように、私は裁判所が職権で事件を審理する糾問主義に戻る必要があると述べてきた。虐殺から10年を迎えるのに際し、58人の犠牲者たちの話をさせてほしい。

 テレビ局UNTVのエディター、マックマック・アレオラが殺害された時、パートナーのエルリン・ウンパッドは18歳だった。2人の間には生後13日目の息子ジャペッドがいたが、毎年11月23日にマニラに行く母に、「なぜ犯人は罰せられないのにわざわざマニラに行くの」と尋ねた。ウンパッドはいつも泣くだけだ。彼女は今年がその最後の時になってほしいと望んでいる。

 正義を待つ10年間の間、彼女は息子の面倒を見ながらなんとか生計を立てた。彼女のほか11人の妻らが同じような境遇に置かれた。

 ボン・レブランドは英字紙ブレティンの記者だった。最後の署名入り記事はパッキャオ選手の世界戦で、虐殺前日付紙面のトップ記事だった。妻のミルナによると、レブランドはマグダダトゥ町長の取材に向かう前「アンパトゥアン一族に近いから大丈夫だ」と明るかったという。でも、彼の頭を粉々にした銃弾はアンパトゥアンの敵も味方も知らなかった。

 週刊新聞ミッドランドレビューのカメラマン、ロバート・モマイの娘マリアレイナフェ・カスティリオは、虐殺の後、米国に移住した。彼女と家族はほかの遺族と異なり、毎年11月にろうそくを灯すことしかできない。58人の犠牲者のうち、モマイの遺体だけが確認されていない。(22日、トリビューン、ハリー・ロケ)

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