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8月23日のまにら新聞から

戦争・語り継ぐ(上)死の行進脱出、拷問も 「もう恨みはない」と元比兵士 バイオリンで奏でた君が代

[ 1724字|2018.8.23|社会 (society) ]

戦後73年、比での第2次世界大戦についての証言を上・中・下で特集する

サンチャゴ要塞で殺害された兄の姿がある写真を手に話すオスカー・ブエンコンセホ氏=21日午後、首都圏マニラ市サンタクルスで冨田すみれ子撮影

 第2次世界大戦終戦から73年が過ぎ、戦争経験者の高齢化は進む一方だ。平均寿命の差もあり、フィリピンでは日本以上に戦争の記憶を持つ世代が急速に少なくなっている。73年目の8月、かつての日本軍を知る比人らを訪ね歩き、話を聞いた。(冨田すみれ子)=3回連載、敬称略

 「今年で95歳になった。この年になっても、バターンやサンチャゴ要塞(ようさい)の記憶は鮮明なんだ」。付近の路地を闘鶏が走り回る首都圏マニラ市サンタクルスの住宅密集地でオスカー・ブエンコンセホは、そう語り出した。

 時折、目を細めて笑顔も見せる。今も健脚で言葉もよどみがない。

 比に日本軍が侵攻して来た時は18歳。マニラ市のファーイースタン大で航空工学を学んでいた。

 侵攻後の日本軍が「ルソン地方北部で女子学生をレイプしている」と聞き、すぐに大学の友人と共に米極東陸軍への入隊を志願した。1941年12月のことだ。

 翌年1月にはルソン地方バターン州に送られた。当時54歳だった父アルネオは米軍が組織化を進めていた比陸軍の司令官で、父もバターンに派遣されて指揮を執った。当時20歳だった兄アルネオ・ジュニアもバターンに向かった。

 

 マニラの光を見て

 

 「レイプへの怒りの感情だけで志願した。若すぎたからか、死ぬことは恐れていなかった」。

 しかし、戦場は想像以上に過酷だった。日本軍戦闘機の銃撃を受け、頭のすぐ上を銃弾がかすめた。食糧不足も深刻でルガウ(かゆ)が1日1杯配られるだけだった。

 「映画で見る戦争とは全く違う。いつも腹が減っていた。餓死した比人兵士もいた」。

 バターン沖から日本軍が攻めて来ることを警戒して夜間に海側の見張りをした。その時、マニラの街の光が見え「帰りたい」と思った。「望遠鏡をのぞきながら涙が出た。戦地へ向かうことに対しては母は一言も口出ししなかったが、夫と息子2人が戦地にいることを母がどう思ってるか考え出すと辛かった」

 バターンでの戦闘は4カ月続いた。食料不足、体力消耗で大半の兵士は病気になった。ブエンコンセホもマラリアに感染、ひどい悪寒に襲われた。

 戦況が厳しさを増す中、ある日、銃を壊すように命令された。両手を挙げて日本軍に降伏。後に「バターン死の行進」と呼ばれる捕虜としての徒歩移動を経験した。

 「行進は地獄だった。何か一つでも日本兵の気の食わないことをすると、すぐに刺し殺された」

 ブエンコンセホは行進3日目に脱走を決意。日本兵の目を盗んで、戦友8人らと一斉に浜辺を目指して全力で走った。

 何とか逃げ切り、マニラまで戻る方法を考えながら浜辺を歩いていると日本兵に見つかった。「殺される」。階級が上とみられる日本兵の所まで連行された。日本兵たちは日本語で何かを相談した後「軍服を着替えて逃げろ」。なぜかそう言った。

 「言われた時は驚いた。ひどい日本兵が大半だったが、あの日本兵には命を救われた。父も日本兵からコメをもらっている。そういう日本兵もいた」

 父と兄も行進から脱走し、4月中旬にはマニラ市の自宅で再会。母、父、兄と涙を流して抱き合った。

 

 サンチャゴ要塞へ

 

 しかし、日本軍の憲兵隊が突然、自宅にやってきた。ブエンコンセホと父、兄の3人はスパイとして捕らわれ、マニラ市のサンチャゴ要塞(ようさい)に収監された。

 「自白を強要され、殴られ続けた。じっと耐えるしかなかった」

 ブエンコンセホと父は1カ月余で解放されたが、兄は帰らなかった。要塞内で一緒だった比人兵士から後に、兄は日本兵に抵抗したため殴り殺されたと聞いた。

 「兄は20年余の短い人生だった。バターンやイントラムロスには今でも私は行かない」

 ブエンコンホセは戦後、航空会社のエンジニアになった。音楽一家に育った彼は10歳から80年以上バイオリンを弾いている。

 「兄や父ともよく一緒に弾いた」。そう言いながらバイオリンを取り出して弾いた曲はなんと「君が代」だった。

 「戦後は日本人の友人もできた。兄は帰らなかったが日本に恨みなどはない」。穏やかな笑顔でそう言った。 (続く)

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