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日本人戦犯帰国60周年

第2回 ・ 助命嘆願から児童憲章へ 洋画家・加納莞蕾の軌跡

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加納莞蕾がキリノ大統領らに送った英文の嘆願書を見せる加納佳世子さん=島根県安木市広瀬町にある加納美術館で写す

 大山を望む島根県・安来市。その中でも緑深い山里の広瀬町布部に瀟洒(しょうしゃ)な白壁を持つ美術館が立つ。備前焼のコレクションで知られる加納美術館。ここで、5月30日から9月30日まで、洋画家・加納莞蕾(1904〜77年、本名・辰夫)の特別展示が行われている。戦前、地元で教師をしながら、独立美術協会の設立に関わり、戦中には従軍画家として中国戦線などで日本軍を描き続けた加納は、1949年から53年まで、画業を犠牲にして、フィリピンBC級戦犯裁判で死刑判決を受けた戦犯たちの助命嘆願に打ち込んだ。当時のキリノ大統領をはじめ、日比政府関係者やローマ教皇も含め200通近い嘆願書を送りつづけた洋画家の足跡を紹介する。

 ▽古瀬元少将との出会い

 戦後、松江地方海軍人事部に勤務した加納莞蕾は45年10月、フィリピンから復員した古瀬貴季元海軍少将と出会う。翌年1月に戦犯指名を受けて巣鴨プリズンに向かう元少将から「指導者として責任を感じている。戦犯裁判で裁かれても減刑運動などはしないでほしい」と頼まれる。

 古瀬少将は言葉どおり、49年3月開廷のBC級戦犯裁判で六つの訴因すべての有罪を認め、2日後に銃殺刑を宣告された。罪状は45年4月から5月にかけ現在のケソン州インファンタで起きた民間人152人虐殺事件の指導者としての責任だった。これを知った加納は助命嘆願をするため、当時5歳の娘、佳世子を連れて汽車で上京する。

 ▽大統領への嘆願書

 東京で厚生省や海軍の関係者に当たった後、知人の紹介で駐日フィリピン代表部のベルナベ・アフリカ公使の肖像画を描くことになる。それまでフィリピンとは無縁で、大統領の名前も知らなかったが、娘を連れて代表部に出入りするうち、嘆願書を直接、大統領宛に送ることを決意する。

 同美術館の館長を務める加納佳世子さん(68)は、「父がある日、代表部の女性秘書に『大統領に手紙を出すと罰せられるだろうか』と尋ねたら、彼女は『日本では、自分の思うことを言ったら、罰せられるのですか』と逆に聞かれたそうです。それで決心したのでしょう」と、当時を振り返る。

 ▽悲劇に寄り添う

 知人が英語に翻訳した大統領宛ての嘆願書は当初、古瀬少将の助命を請う内容だったが、そのうち戦犯全員の恩赦を求めるようになる。アフリカ公使の後任のメレンシオ公使から、キリノ大統領の妻子4人が日本兵に殺され、大統領自ら幼い末娘の遺骸を埋葬した話を聞く。

 「フィリピン国民にとり日本軍が女性や子供を虐殺したことが重大な問題で、その傷跡は消えないだろう」という公使の言葉を聞いた加納は、日本軍の加害の問題を深刻に受け止める。加納莞蕾を研究する三島房夫さんは、「大統領に宛てた4通目の嘆願書には『……閣下の手から残虐にも奪い取られた愛児の名において、赦し難きを許す。そんな奇跡が起きることを待ち望んでおります』と恩赦を求めています。しかし、莞蕾さんは日本人が罪の意識を十分持たず、反省しないまま赦免されることには、反対しています」と解説する。一方、加納の助命運動について、広島市立大学の永井均准教授は、「加納画伯はモンテンルパの戦犯と交流がなく、戦犯もその活動を知らなかった。メレンシオ大使などフィリピン人と直接交流し、彼らの言葉や戦争体験を受け止めながら展開した画伯の助命運動は、当時として極めてユニークな試みだった」と評価する。

 ▽「国際的な罪人」

 加納はキリノ大統領に38通の嘆願書を送った。大統領自らの返事は来なかったが、受領を確認する書面は返ってきた。53年7月、日本人戦犯105人に対し、大統領が恩赦令を出す。母国の土を踏む直前、白山丸の船内で横山静雄元中将が新聞記者のインタビューに次のように語っていたことは興味深い。「帰国を温かく迎えて下さる皆さんの気持ちは自然に出たのだろうが、よく考えると難しい問題だと思う。私たち自身は、日本の罪人だとは思っていない。ただ、国際的な罪人だと感じている。……(中略)……そっと静かに迎えて下さいと、それだけお願いしたい」

 ▽児童憲章への願い

 莞蕾は54年9月から2年半ほど布部村の村長を務めた。村議会に働きかけ「世界児童憲章」の早期実現を求める決議を採択し、島根県町村長会を経て、全国都道府県町村会でも満場一致で決議にこぎつけた。56年8月には、村長として布部村平和5宣言(自治、国際親善、世界連邦平和、原水爆禁止、世界児童憲章制定促進)も出している。

 佳世子さんは「父はかつて、メレンシオ公使とお互いに児童憲章の制定に努力することを誓い合いました。キリノ大統領の戦犯赦免を受け、永遠の平和を築くのは次の世代である子供たちだと考えていたのでしょう」と、父親の書簡を繰りながら教えてくれた。(澤田公伸・続く)

(2013.8.5)

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