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ひと交差点

第1回 ・ 司法試験合格の新二世 柿原次郎さん

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 「ハーイ」。黒塗りの運転手付き高級車からさっそうと、若者が降り立った。約百八十センチの長身。サングラスにピンク色のシャツ。髪はオールバックと一見、テレビタレント風の派手な身なりの若者だが、実は比の資格試験で超難関の司法試験に一発合格し、弁護士となった柿原次郎さん(27)だ。次郎さんは父親が日本人、母親が比人の新日系二世。両親の離婚などつらい幼年期を乗り越え、人生の目標達成に向けて努力している新日系二世の若き比人弁護士を紹介する。

 ▽合格率は約二割

 次郎さんは二〇〇八年五月にデラサール、ファー・イースタン両大学提携マスタープログラムを二番目に優秀な成績で卒業、五年間で経営学修士(MBA)と法学修士(JD)を取得した。

 さらに同年九月に実施された司法試験を受験し、二〇〇九年四月三日の合否発表で一発合格した。

 司法試験は日本でも同じだが、比の各資格試験の中でも最も難関だと言われている。合格率は約二割。次郎さんは大学院卒業後五カ月間、集中して試験本番に向け勉強した。

 試験は全八科目。九月の毎週日曜日に二科目ずつ行われる。問題はすべて記述式、一科目三時間以上かかる。非常に長丁場の試験なのだ。

 「司法試験は知識よりも、異常な緊張感の中、四週間の試験で自分のベストを出す忍耐力と人間性を試される試験だ」と次郎さんは言う。

 ▽予習・復習の日々

 順風満帆の典型的な秀才コースを歩んできたように見えるが、幼年期はつらい日々だった。

 両親は、次郎さんが二歳の時に離婚した。日本人の父親はスーツケースに荷物をまとめ、家を出て行った。次郎さんは泣き崩れる母親の姿が今でも目に焼き付いているという。その後、比人の母親の手一つで育てられた。

 「母には前の夫(比人)との間にも子どもが二人いて、僕にとっては血を分けた兄と姉だった。でも、二人とも十八歳のときに、恋人との間に子どもができて大学には行かなかった。母の落ち込む姿を見て、小さいながらも母にとって残された希望は自分だけだと悟ったんだ」

 その日から予習・復習の日々が続いた。小学生の時、試験が近づくと毎晩母親と一対一で復習。間違える度にほほを打たれた。

 「友達とも遊べなかったし、いとこたちから哀れみの目で見られてた。でも司法試験に合格した今、母のやり方が正しかった」と次郎さん。

 離婚後も何度か比を訪れていたが家族をサポートしない父親に、母親は「今に見てなさい。わたしが育てたあなたの息子が大学の卒業証書を持って、あなたの部屋のドアをノックする日が必ず来るわ」と言っていたという。

 しかし、離婚から十年、両親の仲が戻って再婚し、今は幸せな生活を送っている。

 ▽日本語マスターに挑戦

 大学生になってから初めて訪れた日本は、次郎さんに一層自分の中の「日本人」を意識させた。

 次郎さんの日本の祖母は華道と茶道の先生。祖父もマニラが好きでよく遊びに来るという。祖父母の話を理解したいとの思いから、司法試験が終わった次の日から首都圏マカティ市内の日本語学校で日本語の勉強も始めた。

 現在は日本語能力検定試験の九カ月集中コースで週五日、朝から夜まで日本語の勉強に明け暮れる毎日だ。

 次郎さんの勉強への集中力と熱心さには関心させられる。しかしフィリピン人らしいのはそれを表に出さないところ。

 「努力はもちろんするし、人一倍勉強もしてる。でもそれで自分を無理に追い込むようなことはしない。遊ぶときは思いっきり遊ぶ。人生を楽しまないと。心配したり落ち込んでる時間は無駄だから」

 家族や親類、友達、神について話すときの次郎さんはまさにフィリピン人だ。

勤勉でまじめな日本人の特性と、人生を楽しむことを忘れないフィリピン人のいい部分を兼ね備えている。

 ▽夢は新二世駐日比大使

 当面の目標は、十二月の日本語能力検定試験二級に合格し、文部科学省奨学研究生となって日本の大学に留学。帰国後は比の弁護士事務所で職務経験を積んだあと、米国の大学に留学する予定だという。

 最後に次郎さんは「すべてのことには理由と目的が必ずあると信じている。僕が新日系人として生まれたことにも理由があるはず。夢は新日系二世初の駐日フィリピン共和国大使となって比日外交の懸け橋になること。在日比人そして新二世の人たちのために働きたい」と、将来の夢を語った。

 政治家、警察、弁護士、政府職員。これらは比社会にまん延する汚職の代名詞とも言われている職業だ。次郎さんにはそうした世界に巻き込まれず「正義派弁護士」として活躍してほしいと願わずにはいられない。(大矢 南)

(2009.6.29)

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