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シリーズ・連載

比日新時代の芽生え

第5回 ・ トンドに通った10年間の「私的交流」を写真集に

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「フィリピンの人たちにも自分の写真を見てもらいたい。いつかマニラで個展ができたら」と名越さん

 閉鎖から15年以上が経った今もかつての面影を残すマニラ市トンドのゴミの山「スモーキーマウンテン」。フォトドキュメンタリーの若き旗手として国内外で活躍する写真家の名越啓介さん(35)=奈良県出身=は、10年間にわたってトンドに通い続け、「山」の人々と緊密な関係を築きながら写真を撮りためてきた。

 そして約1年を費やして制作した写真集『SMOKEY MOUNTAIN』(2011年刊、赤々舎)を発表、今まで多くのメディアで伝えられてきたフィリピンの貧困地域のイメージとは一線を画す、名越さん渾身の力作になった。

 「当時を振り返れば、レッドホース(ビール)とジンで酒盛りをしていただけのように思います。向こうの人は本当によく飲む。バカ話をして、たいてい若い男たちは泥酔し、ぶっ倒れて寝てしまう。豪快な飲み方をする人が多かったですね。イヌも食べたし、恋もした。言葉はほとんど理解できませんが、トンドで過ごした時間は、不思議なくらい居心地が良かった」

 年に2、3回、数週間から1カ月程度の滞在。「日本に帰ればまたすぐに戻りたくなる。早くトンドに行きたくてしょうがない。ほとんど、中毒状態でした」と笑う。 

 スモーキーマウンテンが全盛期の1980年代には、ゴミを拾って生計を立てる「スカベンジャー」と呼ばれる人々が多く暮らすトンド一帯は「東洋一のスラム」と呼ばれ、貧困の象徴として日本でも大きく取り上げられた。

 「最初は貧困の現実、目の前の光景が衝撃的すぎて、住民たちに近い視点で撮影するのはどう考えても無理なように思えました。でも、トンドの人たちは、そんな部外者の自分をすんなりと受け入れてくれた。それから10年、気づくと日本より多くの友人ができていました。彼らに良くしてもらったたくさんのことに対してお返しができるとしたら、自分には写真を撮ることぐらいしかない。この本はそういう思いで作った、すごく私的な物語の記録でもあるんです」

 とりわけ深い付き合いをしたのが「被写体というよりは遠い親戚のような存在」と言う、スカベンジャーのノノイさん一家。トンドでは生と死が頻繁に訪れる。名越さんは一家の娘の死、そして新しい命の誕生にも立ち会い、その時々を写真に収めてきた。

 「ノノイさんは先祖代々スカベンジャーの家庭に生まれた方で、いつ行っても家族の一員のように、快く自分を迎え入れてくれました。病気で亡くなった幼い娘さんの写真をノノイさんがどう思うか。不安な気持ちで製本前の見本を持って訪ねました。もしノノイさんが不快な様子を少しでも見せたら、写真集の出版をやめようと思っていたのですが、ノノイさんに見本を渡すと、亡くなった愛娘を抱き寄せる自分の写真を食い入るように見つめた後、一言『ありがとう』と言ってくれたんです。その瞬間、緊張が一気にほぐれて、逆に自分が救われたような気持ちになりました」

 豊かさと貧しさ、正義と不正義、そして生と死 。そうした二項対立の構図では捉えきれないトンドで暮らす人々の営みを、10年間にわたって「私的な記録」として切り取ったモノクロ60点を収録した。写真集は、フランスで毎年開かれる写真の国際見本市「パリ・フォト」でも高い評価を受けた。

 元々、フィリピンにはありきたりのイメージしか持っていなかった。大阪芸大生だった20代前半の頃、米カリフォルニア州でスクワッター(違法居住者)の撮影中に出会った比系の米国人男性から「オレの母国はスクワッター天国だ」と聞いた。それがフィリピンを訪れるきっかけだったそうだ。 

 「これまで30カ国近くで撮影をしてきましたが、一つの国にこれだけ長期間集中したのは初めてです。フィリピンの魅力は何かと聞かれるとはっきりと言葉にはできないんですが…。ただ、トンドの人たちを見ていると『ああ、これでいいんだ』と思う瞬間が多かった。この国が持つ『赦(ゆる)し』の力と言えばいいのか。そんな何かを写したかったのかもしれません」

(野口弘宜)

※名越さんの公式HPはwww.keisukenagoshi.com

(2013.1.6)

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