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比日新時代の芽生え

第2回 ・ 陶芸交流が比日から東南アジアへ

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「今が一番わくわくする」と話すペティジョン夫妻=ルソン地方ラグナ州にあるギャラリーで写す

 ルソン地方ラグナ州カランバ市ブカル。マキリン山のすそ野に、日本最古の窯とも言われる穴窯を持つフィリピン人陶芸家夫妻がいる。ジョン・ペティジョンさん(62)とテシー・ペティジョンさん(64)。フィリピンの現代陶芸家を代表する2人が、比日両国にとどまらず、アジアを巻き込んだ陶芸交流を進めている。

 ジョンさんはスペインの芸術学校で学んでいた20代のころ、図書館で目にした日本陶芸の本に一目ぼれした。栃木県の益子焼きを代表する人間国宝、濱田庄司のファンになり、ピカソやミロなど「芸術」を全面に押し出す欧州の陶芸とは異なる「日本陶器の土、灰、石など自然の材料に対する愛着、シンプルさに強くひかれた」という。

 フィリピン人の母親、米国陸軍兵士だった父親を持つジョンさんの生まれは沖縄。幼いころ、地元の陶器を見た記憶がある。

 フィリピンに引っ越し、陶芸を学んでいたテシーさんと、個展で知り合い1978年に結婚。96年以降は日本に何度も足を運んで、窯元をめぐり、道川省三や寺島裕二ら多くの著名陶芸家の友人ができた。

 彼らをフィリピンに招き展覧会を行ったり、ルソン地方マウンテンプロビンス州サガダ町では、先住民族の生計手段として穴窯を作り、陶芸を指導した。

 ジョンさんは「ただの土が自分の手の中で唯一無二の作品になる。すべての工程がまるで魔法のよう」と陶芸の魅力を語る。

 弟子の1人が東南アジア諸国を旅し、出会った各国の陶芸家とのつながりで、2009年からは新しい活動が始まった。台湾を含む東南アジアの陶芸家約30人で初のネットワークを作り、各国をめぐりワークショップ、交流会を開いている。同年9月には、トヨタ財団の支援で、アヤラ美術館を会場に、初の東南アジア陶器祭りと展覧会(8カ国が参加)を開催した。10年にも台北で同様の展覧会を実施。若い世代を中心に、20〜60代まで老若男女、作品のスタイルも伝統的なものから、現代的なものまで多種多様な陶芸が集まる。

 それまで東南アジアの陶芸家同士の交流はほぼなく、互いに存在も知らなかったという。ジョンさんは「急速につながり、交流が深まった。互いの作品の多様性の中に共通点を見つけることも多く、刺激を与え合いながら世界が広がった」と、この4年を振り返る。

 東南アジア地域の経済成長に伴い、世界が同地域に注目しているという経済的背景もあるという。

 ジョンさん夫妻はミャンマー訪問を望んでいる。「今まで閉ざされ情報がなかったが、必ず陶芸家がいるはず。窯元を発見したい」と目を輝かせる。

 会話の途中、ジョンさんはおもむろに、旧デザインの千ペソ紙幣の裏側を見せてくれた。右側に印刷されているのは、国立博物館に展示されている国宝「マヌンガルのかめ」。1960年代初めにパラワン州のマヌンガル洞くつで見つかった陶器製の埋葬用かめで、紀元前895〜775年ごろのものと考えられている。ふた部分にある小舟に乗った人の偶像には、死者の魂をあの世、来世に渡す意味がある。「同じような偶像が施された陶器の埋葬用かめが同時期の台湾や沖縄、東南アジアのほかの地域にもある。海でつながるアジアの地域で古来から盛んな文化交流があった」

 西フィリピン海(南シナ海)南沙諸島、尖閣諸島など、海に見えない線を引く国家間の領有権争いが深刻化する中、ジョンさんたちの活動は、長い長い時を超えた、アジアにおける自由な文化交流復興の芽と言えそうだ。交通機関の発達、英語という共通語を通して人と人との関係は昔よりもさらに濃くなった。

 「日本から始まったつながりがどんどん広がっている。こういう時を長い間待っていた。今が一番わくわくし、楽しい」。ジョンさんは興奮気味に、満面の笑みで話した。(大矢南、つづく)

(2013.1.3)

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