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日本人戦没者慰霊公園

1999/8/22 社会

「きょうは特別な日?」

 「私たちのようにピクニックに来たようには見えないけれど……。きょうは何か特別な日?」。ラグナ州カリラヤにある戦没者慰霊碑の前で深々と頭を下げる日本人の一団。それを遠巻きに見守っていたフィリピン人女性(20)が冗談混じりに言った。

 五十四回目の終戦記念日。戦勝国側のフィリピンで生まれ育ったこの若い女性には、「連合国に降伏した日」に「湖畔にあるきれいな公園」で式典を開く意味がよくわからないらしい。

 日本大使館関係者や在留邦人が、戦没者慰霊のために来たことを伝えると、「日本の大使が来てるの?私、日本へ行けるかな」と目を輝かせた。

 碑は、フィリピンで戦死した日本人五十二万人を慰霊するため、岸信介元首相が建立を提唱。戒厳令下の一九七三年三月二十八日に行われた完成式には岸元首相やマルコス大統領‖当時‖が顔を並べた。建設費は三千万円、用地はフィリピン政府が無償提供した。

 その三年後の七六年一月、元首相が委員長を務める「庭園建設委員会」が、慰霊碑の周辺約十二ヘクタールに日本庭園を築造した。また、九○年には、日本の旧軍人団体がすべり台など子供用遊具を寄贈し、子供連れなどでにぎわうようになった。庭園を管理している国家電力公社によると、「祝祭日は百人以上の入場者がある」という。

 首都圏から日本庭園へ向かう道沿いには、太平洋戦争にまつわる「記念碑」が少なくともあと二つある。

 一つは、庭園の約十五キロ手前にある「第二次大戦期間中華民国台湾省同胞在菲蒙難記念碑」。戦争中、旧日本軍に徴兵されフィリピンで命を落とした台湾人一万五千人のため、同州パグサンハン町に建設された。資金不足で着工から九七年に完成するまで十年の歳月を要した。

 碑建設にほん走した旧日本軍軍人の曹万福さん(74)‖マニラ市サンタメサ在住‖は「日台両国の戦死者が昔話に花を咲かせるのでは、と思いカリラヤに近い場所を選んだ。日本人の方々もよくお参りしてくれているようです」と話す。

 もう一つは、同州サンタクルス町の「慰安所」。元従軍慰安婦の女性によると、旧日本軍は占領後に接収した民家に十人を超える女性を監禁、性的暴力を加え続けたという。町の中心を流れる川沿いには、その民家が二軒、当時の姿のまま残っている。  (酒井善彦)

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