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13 日 マニラ

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ハロハロ

2009/10/5 社会

 筆者が共同通信記者として初めてマニラ国際空港でタラップを降りたのは1959年10月、ちょうど50年前になる。当時、マニラ港近くで日本の沈船が船体の一部を海面からのぞかせ、マニラホテル旧館の壁には弾痕がいくつも残っていた。戦争の傷跡は反日感情となって人の心にもうずき、石を投げられて、日本大使公邸2階の窓ガラスが割れるなどした。

 そんなマニラに滞在中、図らずもこの国の人から「フィリピノ・ホスピタリティ」を地で行く、歓待を受けた。その人との出会いは数年前のクリスマス前夜、近鉄奈良駅前で「この近くに……」と、カトリック教会の所在を尋ねられて案内したのが端緒。一度、わが家にも招いたが、彼の母国で再会することになるとは夢にも思わなかった。ある夜、食事の後で高級クラブに誘われ、店に足を踏み入れて驚いた。10人程度と記憶する客同士や女主人との会話はすべてスペイン語だった。

 スペインがフィリピン諸島を植民統治したのは333年。その間、自国語を自分たちと限られた地元のエリートだけの言語にした。タガログ、セブアノ、イロカノなど主な言語集団だけでも8つあるこの地で、スペイン語を共通語として普及させると、部族間の統一を促すのではないかと危ぐしたという。「フィリピンに教育制度と英語教育を与えた」と言われるアメリカの植民地行政とは対照的だったようだ。    (濱)

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