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10月11日のまにら新聞から

「ノーマライゼーション」と闘え 文化人に課せられた仕事

[ 756字|2019.10.11|社会 (society)|新聞論調 ]

 ドゥテルテ政権下にあってはさまざまな抑圧がある。警察の取り締まり中の殺害、取り調べ中の死亡、罪のない子どもたちの殺害は「副次的な損害」とされる。こうした中、国際ペンクラブ年次大会が我が国で開かれた。その際の筆者の発言を紹介したい。

 民主主義の荒廃や抑圧はフィリピンだけでなく世界中で日常化し、いわゆる「ノーマライゼーション(標準化)」と呼ばれる現象が起きている。非人道的な悪しき行為を、今の時代の「当たり前」「新たな標準」とする態度・傾向だ。例えば「ドゥテルテ大統領、罰せられることなく女性をレイプできると兵士らに冗談」という新聞の見出しのように、発言をジョークや文化的なものとして重大視しないことが多い。面倒を避けようとする受け身の態度が背景にあろう。

 1986年2月7日の大統領選直前にマルコス政権が出した新聞広告「自由と民主主義のための著述家と芸術家連合宣言」も筆者は示した。比文化界の大御所の名を連ねた宣言には「比の有権者には二つの選択肢しかない。比の民主主義の再構築(マルコス側)か、争いと憎しみと同胞殺しの未来(コリー・アキノ側)か」とある。

 しかし、これは明らかに間違っていた。このように嘘の選択肢しか示さないこともノーマライゼーションだ。例えばドゥテルテ政権は、南シナ海における比の権利を主張するには中国に従うか戦争かの二択しかないかのように言い、中国への盲従を正当化している。

 著述家や芸術家がこうした状況で闘うにあたり、ホセ・リサールが示唆を与えてくれる。その著作「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」に「問題を明確に捉えること」とある。人々が生きている現実の意味をはっきり際立たせ、それに向き合わせる。これこそ文化人の仕事である。(8日・インクワイアラー、ジョン・ネリー)

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