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8月23日のまにら新聞から

暗黒の歴史を思いだせ アキノ記念日

[ 784字|2019.8.23|社会 (society)|新聞論調 ]

 36年前の今日は、ベニグノ・アキノ元上院議員がマニラ空港で中華航空機から降りた直後に暗殺された日だ。この事件により20年近く続いたマルコス大統領による支配に圧力を加えることになった。アキノ上院議員の命を奪った銃弾がマルコス時代の終焉(しゅうえん)の始まりを告げることになる。

 しかし、この独裁者の相続人らや彼らの操縦者たちは、マルコスが布告した戒厳令が比の「黄金時代」だったと雄たけびを上げている。彼らは若者をターゲットにして様々な政治的修正を加え続けている。アイミー・マルコスは上院議員に当選する2〜3年前には自身の学歴詐称疑惑が暴露され、年配世代たちが彼女を告発したりしたが、若者たちは過去には無頓着だ。それゆえ1983年8月になぜあのような事件が起きたのか、その日からどのように独裁政治が終焉を迎えたのかをもう一度思い出すことが重要だ。

 アキノ氏が暗殺された直後から比は第2次世界大戦以来となる経済不況に見舞われた。比大の経済学教授によると、暗殺事件を契機にして外国銀行が短期融資の繰り延べを拒否し、83年10月には対外債務支払いの90日間凍結を政府が宣言。ドル為替取引が休止し、インフレ率高騰が続いた。83年末のインフレ率は26・1%で、翌84年末には64%まで上昇した。その一方で、マルコス一家や取り巻き政商らは国庫を略奪して蓄財を続けた。しかし、アキノ氏が軍人に囲まれながら暗殺されるという暴虐ぶりがすべてを押し流す「大洪水」となった。

 ドゥテルテ大統領は最近、亡きコリー・アキノ元大統領の命日に「彼女はマルコスたちの手で自分の夫を失ったことで今日でも人気がある」と演説し、独裁者の後継者らは石のように沈黙した。それは確かに民主主義を取りもどすための犠牲だったが、今日、その民主主義が再び失われる危機に面している。(21日・インクワイアラー)

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