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3月9日のまにら新聞から

ポストにしがみつくな 最高裁長官の弾劾審議

[ 759字|2018.3.9|社会 (society)|新聞論調 ]

 この国では政府高官がその適性について疑問視されても自分のポストを手放す者はまれだ。批判者に反抗し、自分だけがスケープゴートにされ、不平等にも告発されていると主張するのだ。つまり、辞職することは妥当な選択ではなく、むしろ自分の罪を受け入れることなのだ。

 政治任用された者たちはよく「自分は大統領が満足するように仕える」と表明する。大統領の信頼を得ることにいそしむ。しかし、本当は、この政府幹部らのポストを用意したのは大統領ではなく、国民なのだ。自分たちの給与を支払っているのも国民なのだ。

 弾劾裁判でしか地位をはく奪されない者たちも同様だ。弾劾裁判が純粋に政治的な試みであることを最大限利用して、自己弁護し、批判者たちの悪意をあぶり出そうとする。この手続きによって、国は時間とエネルギー、そして最も重要な資金を失っていく。

 この現実をわれわれはセレノ最高裁長官の顛末に見ている。弾劾発議が上院に送られようとする前に彼女は無期限の休暇を取得した。今年後半には上院で弾劾裁判が開催される見通しだ。他の高官の中にはもっと時間がかかった者もいる。たとえば、バウティスタ中央選挙管理委員長だ。彼は上院で聴聞会が開かれるという段階になってようやく辞職したが、それまでに選挙関連の取引で不正蓄財したと言われている。

 他の国では政府高官たちは疑惑が報じられた時点で辞任し、極端な場合、恥を痛感し自殺するケースすらある。しかし、決して高官たちに自殺しろと言っているのではない。それは馬鹿げたことだから。でも、自分の地位に絶望的にしがみつくことで無実を訴えるという慣例を再考すべきだ。そうして自己保身し不法に居座る政府高官がいることで、組織自体が被害を受け、国民のモラルの崩壊を導くことになるからだ。(6日・スタンダード)

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