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8月24日のまにら新聞から

政界の逸材 重なった2人の命日

[ 726字|2015.8.24|社会 (society)|新聞論調 ]

 アキノ大統領の叔父に当たるアガピト・アキノ元上院議員が17日に死去した。遺体は本人の意向でひっそりと荼毘(だび)に付された。この日は、ロブレド元内務自治長官が死亡した飛行機事故の3回忌でもある。

 若いころは俳優だったアガピト氏が上院議員としての転機を迎えたのは1983年8月21日に亡命先の米国から帰国した兄、ベニグノ元上院議員の暗殺だった。アガピト氏は、マルコス独裁政権に反発する民間団体を結成した。この動きに呼応するかのように、国内で反マルコス機運が高まり、86年のピープルパワー革命へとつながった。

 反旗を翻したエンリレ国防相らを守ろうとエドサ通りへの結集を最初に呼び掛けたのはアガピト氏だった。この結果1万人が集まった。

 上院議員としても数多くの法案を起草し、91年に米軍基地協定の更新に反対した12議員の1人であった。

 一方、無所属のロブレド氏は、ビジョンを達成するためには汚い政治は無用であることを証明した。南カマリネス州ナガ町から市への昇格に貢献したとして、2000年にマグサイサイ賞を受賞した。グッド・ガバナンス(良い統治)を実践し、透明性の高い取引きを実行した職員には優遇措置を与えるという斬新な方法を導入、災害対策、役所仕事の効率化、高齢者が住みやすい街作りに取り組んだ。象徴的なのは権威主義に溺れないことだった。

 かつての同僚はこう振り返る。「ロブレド氏はスルー州の街に向かう途中のボートで眠り、粗末な場所でシャワーを浴び、簡易食堂で食事を取り、車の代わりにバスを利用した」

 次期統一選勝利に向け、自身の宣伝に躍起となっている候補者の中に、この2人のような逸材はいるだろうか。(20日・インクワイアラー)

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