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3月4日のまにら新聞から

サバ州の歴史

領土問題

[ 739字|2013.3.4|社会|新聞論調 ]

 マレーシアは、ボルネオ島サバ州の領有権問題について、国際司法裁判所で解決を図るよう求めるフィリピンの呼びかけを一貫して拒んできた。

 英国の北ボルネオ会社は19世紀後半、スルー王国のスルタンと同島北東部の租借契約を交わした。スルタンに領土の主権を認め、租借料を支払った。スペインは1885年、英国に対し、ボルネオ島の領有権の主張を放棄した。スペインからフィリピンの統治権を得た米国は1906年と20年の2回、北ボルネオは英国の領土ではなく、スルー王国の一部である、と公式に伝えた。

 米国の主張は「スペインは北ボルネオの主権を得ていないため、英国への領有権放棄に含まれない。北ボルネオは、スペイン領フィリピンの一部でもない」だった。

 北ボルネオ高等裁判所も1939年、サバ州の主権は英国でなく、スルー王国の末えいであるキラム家に属すと判決を出した。

 英国は46年、これらを無視してボルネオ島を領有した。そして63年、サバ州などを加えたマレーシアが成立した。ところが、英国もマレーシアも租借料をキラム家に払い続けたのだ。

 スルタンは62年、北ボルネオの主権をフィリピンに譲った。当時のマカパガル第9代大統領は、マレーシア成立前に解決すべき問題として、英国に使節団を送った。

 マレーシア成立を契機に、フィリピンのマレーシアとの外交関係は89年まで冷え込みが続いた。フィリピン側は最後に、領土問題を棚上げして、経済と安全保障を重視してしまった。

 中国も、領有権問題に関するフィリピンの仲裁裁判所への提訴受け入れを拒否している。マレーシアとの領土問題と同様に、中国が数十年後に、自らの主張を放棄することはまずないだろう。(1日・マラヤ、ドゥッキー・パレデス氏)

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