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9月20日のまにら新聞から

託される戦争の記憶(上) バタアン戦を生き抜いた比人退役軍人 「戦争以外の道はあるはず」と98歳語り部

[ 1830字|2021.9.20|社会 (society) ]

戦後76年を迎えた。当時バタアン戦で日本軍と戦った比人退役軍人と戦時中のマニラで日本軍の捕虜となった米兵の子孫という当時の記憶を今に伝えるオスカー・ブエンコンセホ(98)にインタビューした

オンラインて自身の体験を語るブエンコンセホさん=8月31日

 戦後76年を迎え、第2次世界大戦を経験した人は年々減っており、彼らから託された記憶や言葉を後世にどう伝えていくかが問われている。当時バタアン戦で日本軍と戦った比人退役軍人と、戦時中のマニラで日本軍の捕虜となった米兵の孫という当時の記憶を今に伝える2人にインタビューした。2回に分けて紹介する。(聞き手は深田莉映)=敬称略

 オスカー・ブエンコンセホ(98)にとって平和とは「幸せを感じること。お互いに愛し合うことが大切」。ほほ笑む顔に刻まれたしわが、戦時を含めて生き抜いた98年という年月をうかがわせる。首都圏にあるフィリピン退役軍人会を通じて紹介されたが、防疫強化措置ということもあり8月下旬にオンライン会議アプリを通じて話を聞いた。その語りかける口調はコンピューター画面を通じてもはっきりとしており、力強い。

 マニラ市生まれ。同市にあったファーイースタン大で18歳の学生だった1941年12月、「命令ではなく、強い愛国心から」米極東陸軍への入隊を志願した。

 1942年1月、同軍の将校だった父アルネオと兄アルネオ・ジュニアに続きバタアン半島へ派遣され戦場に放り込まれた。同年4月9日、日本軍がバタアンを陥落、「バタアン死の行進」が始まった。7万人を超える米比軍捕虜と市民が炎天下、飢餓状態のままタルラック州にあったオドーネル収容所を目指して歩かされた。自身は3日目に脱走を図った。

 「戦争の現実は映画とは全く違う」と訴える。日本兵の激しい暴力や虐殺、飢えと病気で死にゆく多くの捕虜や住民を横目に、ブエンコンセホは日本兵の目を盗み浜辺に向かって走り、奇跡的に逃げ切ることができた。数万人が倒れた中、兄も父も逃走し生き延びていた。数日後、母の待つ自宅で父と兄弟らは悲願の再会を果たす。

▽兄を殺した日本兵

 家族との再会を喜んだのもつかの間、日本軍の憲兵隊がマニラ市の自宅に押し掛け、父や兄とともに捕まり、サンチャゴ要塞に収容された。取り調べで比人は米軍のスパイだと疑われ、拷問を受けた。米軍に入隊した理由を聞かれ「冒険したかったから」と答えると、笑われたという。

 兄は憲兵隊に抵抗し、帰らぬ人となった。「兄は自分を殴る日本兵を前に、何をしたと思うかい。米国の国歌を歌ったんだ」。亡き兄を称賛するような、誇らしげな表情だった。

 「良い日本兵も知っている」と教えてくれた。その一人は父によくしてくれた馬場という名の将校で、日本の占領中、こっそり食料を分けてくれた。もう一人は、日本軍の戦車隊長で、バタアン戦で日本軍の戦車に手りゅう弾を投げつけ、機銃掃射を受け負傷した戦友をマニラ総合病院に運び、手術を受けさせたという。手術は成功しその戦友は一命を取り留めている。

 ブエンコンセホは戦後、沖縄の米軍基地で働いたこともある。趣味はバイオリンで、米アマチュアオーケストラのバイオリン奏者としてサンフランシスコなどで演奏したこともあるという。「もう98歳で最近はあまり弾けないから」と代わりに歌ってくれたのは日本の軍歌である「軍艦行進曲」そして「君が代」だった。「占領中は毎日ラジオで流れていた。特に君が代を聞くと今でも感傷的になる。日本の降伏はラジオで知った。あの日を忘れることはない」

▽退役軍人として

 2018年9月、在比米国大使館は第2次世界大戦の比人退役軍人13人に対し、米国議会からの初の勲章授与式を開催した。比人兵の勇気と献身は連合国勝利に大いに貢献したとしてその功績と犠牲を認め、戦没者を追悼した。ブエンコンセホは「バタアンを防衛した米国連邦軍第2師団野戦砲兵第2連隊所属」として表彰された。「戦後73年で米国は比人兵への不公平な扱いも間違いだったとやっと認めた」と誇らしげにメダルを掲げた。

 日本をどう思っているか尋ねると、初めて少しの沈黙があった。「兄は日本兵に殺された。日本を責めることも米国に憤慨することもできるが、もう恨みはない」と言葉をかみしめた。すぐに表情を変え「君たちの世代の話じゃない。もうずっと昔のことだ」と優しくほほ笑んだ。

 「別の国や人々を征服しようとする国がある限り、戦争は繰り返される。起こってしまうと1人では止められない」。ブエンコンセホが機会あるごとに自身の戦争体験を語るのは「同じ過ちを繰り返さないため。戦争以外の道は必ずあるはず」と強い眼差しで頷いた。

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