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2月22日のまにら新聞から

革命精神の再燃を

[ 721字|2016.2.22|政治 (politics)|新聞論調 ]

エドサの非暴力運動

 1986年のエドサ革命は非暴力運動だったが、決して神の気まぐれで起きたのではなかった。マルコス独裁政権に対する非暴力による抵抗運動は、アキノ元上院議員が1983年8月21日にマニラ国際空港で暗殺された直後にその萌芽が芽生えた。 

 マルコスが「モスキート・プレス」と呼んで、ばかにしていた「ミスター・アンド・ミセス」などの印刷物が、大胆な政権批判を開始した。市民らによって8月21日運動が組織され、毎日のように大統領府前や地方で抗議集会やデモが行われるようになった。

 そして1984年4月の聖週間にアテネオ大学で、ブランコ神父が主宰する7日間の社会改革に向けた断食集会が行われたのが、非暴力運動という形をとった最初の試みだった。この時にフランス人夫妻から積極的非暴力の哲学などが紹介され、運動のバックボーンとなった。この積極的非暴力は米国のキング牧師やガンジーらによって進められた運動で、暴力の主体に対しその不正義を知らしめ、人間性を尊重するよう転向を迫るというものだった。

 その後、ブランコ神父は積極的非暴力に関するワークショップを各地で行い、運動を広げる。アキノ元上院議員暗殺事件の被疑者だった国軍幹部が無罪放免となった時には、彼らは比大学チャペルで9日間の断食集会を開催。マルコス政権が繰り上げ大統領選を86年2月7日に実施すると発表した際には、マカティ市アヤラ通り沿いでテント村を立ち上げ、平和な選挙実施を訴えた。

 86年2月の非暴力による革命はフィリピン人にとり輝かしい瞬間だった。革命はその後、軍人や政治家らに乗っ取られたが、選挙であの革命の精神を再燃させるべきだ。(19日・インクワイアラー、ダニロ・ベニダ)

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