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11月9日のまにら新聞から

台風ヨランダ

台風襲来から1年。被災各地で追悼式。涙を流しながら祈り続ける被災者の姿も

[ 1991字|2014.11.9|気象・災害|ビサヤ地方台風災害 ]
集合墓地で泣き崩れるジョセリン・サレンテスさん=8日午前7時半ごろ、タクロバン市で写す

 7300人以上の死者・行方不明を出した超大型台風ヨランダがフィリピンに上陸してから8日で1年。被災各地では犠牲者をしのぶミサや追悼式が開かれ、国内外から集まった多くの人々が、犠牲者の冥福と被災からの復興を祈った。壊滅的な被害を受けたビサヤ地方レイテ州タクロバン市に作られた行方不明者の集合墓地では、遺体が見つからないままの犠牲者に思いをはせ、炎天下の中、涙を流しながら祈り続ける被災者の姿が見られた。

 全世界の注目が集まった台風ヨランダ。人と動物の死体がむき出しのままで道路に横たわり、腐臭が漂っていた町も、がれきがなくなり、すっかりきれいになった。世界各国から厚い支援の手が差し伸べられ、レイテ州の州都タクロバン市とその周辺はようやく活気が戻りつつある。略奪の被害に遭い、シャッターは壊れ、ガラスが散乱していた大型商業施設も改装が終わり、営業を再開していた。

 被災1周年となる8日に合わせ、世界中から支援者らが被災地に押し寄せ、タクロバン空港への航空便は一日中満席状態となった。

 「他国に比べて復興の速度がはやい」と驚きの声を口にする国際支援団体の関係者もいる。しかし、墓地や教会を訪ね、犠牲者の冥福を祈る被災者に一人ひとり、時間をかけて話を聞かせてもらうと、いまだ癒えない深い「心の傷」を抱えていることが取材者に伝わってきた。

 「頑固な人だったから。『逃げろ』って言ったのに・・・」。ジョセリン・サレンテスさん(35)は、台風の犠牲になった夫ダニエルさん(33)を思いだしながら、言葉をふり絞るように語った。

 サレンテスさん一家は台風襲来時、沿岸部の低地にあるタクロバン市サンホセ地区に住んでいた。ジョセリンさんと子供2人は避難所に逃げ助かったが、ダニエルさんは「全員避難したら泥棒に入られる」と、かたくなに避難を拒否。「俺は大丈夫だから、お前らだけ逃げろ。家は俺が守る」││。その言葉がダニエルさんと交わした最後の会話になってしまった。

 台風ヨランダが上陸した昨年11月8日午前5時。サレンテスさんの住む住宅地区一帯を、高さ約5メートルもの高潮が一気に襲った。水が引いた後、家は跡形もなく消えていた。家財道具を守って家にいたダニエルさんの遺体は、今でも見つかっていない。

 被災から1年のこの日、ジョセリンさんは同市バスパーに設置された行方不明者用の集合墓地にやってきた。人混みを避けるため、報道陣や政治家などがまだ到着していない午前7時前に墓地を訪れた。

 この集合墓地は、タクロバン市役所など市の中心街から車で約30分離れた山合いに位置している。約4300平方メートルの広さに2600柱を超す純白の十字架が立っている。遺体が見つかっていない犠牲者の遺族は、木の十字架に台風で死亡した親類の名前を書くことができるという。

 ジョセリンさんは現在、市内に設置された仮設住宅に1人で暮らしている。2人の子供は市外の親類に預かってもらっている。被災後にアルバイトを始めたが、それも12月には契約が切れる。ジョセリンさんは十字架に書かれた亡き夫の名前をじっと見つめながら「強く生きなきゃ。私には2人の子供がいるんだから」と気丈に話した。しかし、十字架の前で夫の冥福を祈った約1時間、ジョセリンさんの目からあふれ出る涙が止まることは、一度もなかった。 

 タクロバン市から車で約30分ほど南にあるパロ町サンフアキン地区の教会。被災直後に次々と見つかった遺体の埋葬地となっており、集合墓地となった教会前広場には、ろうそくを灯す犠牲者の親族たちがいた。

 当時、パロ町に住んでいたジェシカ・シルファバンさん(18)は兄と両親を亡くし、家族でたった1人だけ生き残った。被災後はおばのマリア・ラカンダゾさん(49)と一緒に、首都圏マンダルーヨン市で暮らしている。ラカンダゾさんによると、ジェシカさんは両親と兄を亡くした悲しみが心の中に残っているのか、夜になると一人で泣き出すことがあるという。

 キムベリー・グアリノさん(22)は、実の両親と5歳の息子カール君を台風ヨランダで亡くす悲劇を経験している。被災から3カ月後、グアリノさんは夫レイモンドさん(21)と娘アレクサンドラちゃん(1つ)と3人で、ビサヤ地方セブ州に転居し、外資系のコールセンターで働き始めている。被災1年を契機に、9カ月ぶりに1週間だけ故郷のタクロバン市に帰ってきた。

 グアリノさんは同市バスパーの集合墓地を訪ね、遺体が見つからなかった両親と息子の名前を白い十字架に書きつけ、ろうそくに火を灯した。

 「あの時のことは思い出したくない。両親もいないふるさとにはもう住みたくない」。あらためてため息を漏らし、肩を落とした。うつむいたグアリノさんに笑顔はなかった。(鈴木貫太郎)

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