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12月12日のまにら新聞から

台風ヨランダ(30号)

[ 1376字|2013.12.12|気象 災害 (nature)|ビサヤ地方台風災害 ]

レイテ州各地で一部公立学校での授業が再開。在校生の大半が登校できずにいる

同級生の前で「神様がくれた第2の人生を無駄にしない」と作文を読み上げるマーリー・コメンダドーくん=11日午前10時半ごろ、タクロバン市内で写す

 台風ヨランダ(30号)で被災したビサヤ地方レイテ州では、12月初旬から一部公立学校での授業が再開した。同州タクロバン市内でも、避難所となっている校舎の一角で授業が始まっている。しかし、「復興した町で働く」など夢を話す児童がいる一方、州外に避難したり、跳ね上がったジプニーの運賃を工面できない児童も多く、在校生の大半が登校できないのが実情だ。

 「神様がくれた第2の人生を無駄にせず、両親を助ける」。タクロバン市の中心街にあるリサール・セントラル・スクールの6年生、マーリー・コメンダドーくん(11)は11日午前、登校できた同級生12人の前で自作の作文を読み上げた。将来の夢を聞くと「 ホテルの経営を勉強して、復興したタクロバン市で働きたい」とはっきりとした口調で話した。ところが、被災当時のことについては「思い出したくない」と口を閉ざした。

 同校のナティビダッド・カハノ校長代理(58)によると、全校生徒約2700人のうち、この日に登校できたのは、約60人だけ。首都圏やセブ州など州外に避難した児童の保護者から次々と欠席の連絡がきているという。

 市内に残った児童も、被災後、半壊した家の掃除や家事を手伝ったり、ガソリン代の高騰でジプニーの運賃が被災前の倍前後にも跳ね上がったため、登校できないケースが多いという。登校しているのは、避難所となっている校舎に暮らしていたり、歩いたり親のオートバイに乗ってきた児童など。

 同校では、教育、社会福祉開発両省などの助言を受け、生徒の心理ストレスを減らすために、児童に被災時のもようを絵や作文にする特別カリキュラムを組んでいる。16日からは、地元の大学教授らによる児童向けの心理カウンセリングも始まるという。

 教師歴11年のジェラルディン・エシトさん(40)は自身も被災し、自宅が半壊した。エシトさんによると、台風のことを聞くと、親やきょうだいを亡くした被災当時を思い出し、泣き出す子どももいるという。「一度登校したきり、姿を見せない子もいます」。

 タクロバン港に近いアニボン学校の4年生、ニコル・オキノ君(15)は、生後8カ月と、7歳の弟2人と母ネルダさん(39)の行方が依然分からない。被災から1カ月以上が経っても、港に座礁したままの船の近くで、がれきの中から材木を拾っていたニコル君は「お母さんが見つかってから学校に行く」と言ったきりうつむいままだった。

 タクロバン市内から南に約13キロ離れたタナワン町でも、公立学校の一部授業が再開したが、大半の児童が登校できずにいる。同町の公立学校に通う、エリカリン・マスバイちゃん(11)は両親と妹2人を亡くした。家族でたった一人、自分だけが生き残り、被災後はおばのエドレリン・バクナルさん(35)とテント暮らしをしている。バクナルさんによると、エリカリンちゃんは時折、家族を思い出すのか涙を流し、眠れない夜もあるという。

 フィリピン大学タクロバン校では、年明けの1月15日に講義を再開する見通し。同校は被災した学生に対して授業料の減額や資金援助を検討している。同校4年生のエリック・レガルダさん(21)は「卒業したら、しばらくタクロバン市に残って、就職先を探す。見つからなかったら、州外に出るしかないけど……」と話した。(鈴木貫太郎)

気象 災害 (nature)