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内山安雄のフィリピン取材ノート

第2回 ・

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 フィリピンのパナイ島の山岳民族の取材で雇った三十年輩のガイドのテオドールには恐れ入った。ハイヤーで30キロほど離れた目的地にまっすぐ向かう予定だった。

 ところが出発して間もなく、テオドールが道端のレストランに入るように運転手に命じた。何事かと思いきや——。

「腹が減ってたまらんから飯を食わせてくれ〜!」という。ここしばらく雨季のために客に恵まれず、食うや食わずの暮らしを続けていたのだとか。まあ、目くじらを立てるほどのことではない。ところが、この後、思いもよらぬトラブルが起こる。

 テオドールは、バイキング形式の洒落(しゃれ)たレストランに飛びこむやいなや、それこそ親の仇(かたき)にでも出くわしたような必死の形相で、手あたり次第に料理を貪り食う。

 やがて、急に目を白黒させて苦しみ始めるではないか。なんと、からっぽの胃袋にいきなり食い物を詰めこみすぎて、胃けいれんか何かを起こしたのだ。やれやれ、その日の取材は諦めざるをえない。

 レストランで数時間休んで、どうにか持ち直したテオドールは、支配人を呼びつけ、おもむろに口を開いた。

「おいら、払った金の分だけの料理をまだ食ってないから、土産に肉を包んでくれよ」

 なんという卑しい奴だとあきれる。が、聞けば、腹をすかせて待っている3人の子供にもご馳走を食わせてやりたいという。その言葉を聞いているうちに、朝からの苛立ちがなんとなく消えていった。

 同じフィリピンでも、ネグロス島に砂糖農園の取材で出かけたおりに雇った、トライシクル乗りのデニスは気分のいい若者だった。彼のほうから、しつこく売りこんできたので、私は値切りに値切る。デニスは、私の言い値でOKしたら雇い主にしかられる、とブツブツいっていた。が、こっちがいっこうに譲らないので、渋々ガイドをかねた運転手を破格の安値で請け負ってくれた。

 翌朝デニスは、「親方に話したら、日本人らしくないケチな奴だなって驚いていましたよ」と、まだ不満がありそうだ。

 ガソリン代は別にして、私の払う金額のうち、6割は親方のところにゆき、デニスの取り分はたったの300ペソ少々にしかならない。いくら物価の安い田舎町でも、この日給ではやっていけない。だがデニスは、実入りがよくないにもかかわらず、実によく働いてくれ、意外なほど取材がはかどった。

 そこで空港での別れしな、約束した金の倍額のペソ紙幣を手渡す。大喜びするかと思いきや、デニスは近くにいた同業者たちの顔を見回しながら溜め息まじりにいう。

「知り合いのみんなが見ているから、半分をチップとして僕がもらうわけにはいかないんです。今もらった金額の6割は、やっぱり親方に持っていかれるんですよ。残念だけど」

 最後の最後に大喜びさせてやろうと思ったが、どうも間が悪かったようだ。どれもみんな、私の愛すべきガイドたちである。

(2013.7.15)

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